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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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さびしさに耐えて生きたし、西行のよう。


西行の短歌。『新古今和歌集』「巻六冬歌」である。

<さびしさに たへたる人の またもあれな 庵(いおり)並べむ冬の山里>

まったく一人になりたいとは言っていない。おそらく、その意味は
「私(西行)と同様に、このような寂しさに耐えて暮らしている人がいればいいんだが。そうしたら、この山里に庵を並べて住めるんだがなぁ。」
と詠嘆をしているのではないか。

すべてを捨てて出家をしたわけであるが、自然の寂しさの中にあって、ふと人が恋しくなった西行の心の奥底が何となく感じられる。もしかしたら、西行は鴨長明ほどにも、心が強くなかったのかもしれない。

私(黒田康太)も、ぼつぼつ孤独に耐える心を養いたい。とくに、死後のことを考えて。徒党をなして生きているのは、自分が弱いからであろう。人を頼るのである。
親を頼り、先生を頼る。医者を頼り、経営者を頼る。挙げ句の果ては、教祖などを頼る。しかし、いったん自分が被害者や不幸になると、責任を人になすりつける。それならば、最初から人を頼らないほうがましだ。

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