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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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信仰は激しきものか、マリア観音。


「マリア観音」は、観音さまのようでもあり、マリアさまのようなお姿でもある。かつてキリスト教が禁じられていた時代に、秘かに信仰の対象として作られたものだ。「邪宗門」として幕府が禁じていた宗教の確認をするために、踏絵(ふみえ)なども行われた。イエスの姿が書かれた絵を踏ませる。ためらって踏まないものは、その信者だと決め付けたのである。

しかし、仏なども開眼(かいげん)をするまでは魂の入っていない単なる物体だとする風習があるので、その絵を自分に対しては一種の道具に過ぎないと考えることはできなかったのか。

イグナティウス=デ=ロヨラは、「論理で考えるのではなく、研ぎすました直感」によって判断しなければならないと言う。例えば「道に麦わらが十字架の形になって落ちていたら、何かの暗示か?」などと考えず、「たまたまそんな形になっただけ」と結論付けるのである。
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