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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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屁理屈か? 高守さんの「やめちゃえ!」の説。


先日、吉祥寺のルノアールで高守さんたちと話をしていたら、「何事もやめちゃえ」というような意味の意見を聞いた。しかし、私は「天台摩訶止觀」のことを考えながらも、そのときは別の人がいたので黙っていた。

それは、『徒然草』第七十五段後半にも引用されている、

<いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しづか)にし、事に與(あづか)らずして心を安くせんこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活(しゃうかつ)・人事(にんじ)・技能・學問等の諸縁を止(や)めよ」とこそ、摩訶止觀にも侍(はべ)れ。>

のことである。
愚かな人間は、脳にあやつられて四苦八苦する。その結果、自分で自分を苦しめたり、隘路に追い込んでしまうサディズムになる。騎手が馬に乗って、疾走をするのよりもひどい。

馬が、つぶれてしまうまで走るのである。多額の賞金のためか。世間の名誉のためか。愚かなことである。私はなぜか、ふとそのときに「かえるの腹自慢」という話や、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」、さらには兪曲園の「顔面問答」などを思い出したのである。
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