rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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思いつくことを気ままに書き連ねゆく。
このプログは、大げさに「生きている証明」などと言う。しかし、単に「日々の慣(なら)わし」と考えてもよい。日単位の記述であるが、記憶の断片が残るので、備忘録やメモになっていたりする。
なぜ、ここで時間にこだわるのか。私たち生物は、時間を食べて生きているようにも思える。とくに人間社会では、すべてが時間によって動かされていく。そうは言っても、もともと時間などは存在をしないのかもしれない。私たちの活動や運動が、それの必要性をかもし出してだけにすぎないからである。
つまり、このプログはあまり堅苦しく考えないで、ただ思いつくことを気ままに書き連ねてゆけばよいのである。すると、時間の経過にともなった考え方の変化が保存される。
このプログは、大げさに「生きている証明」などと言う。しかし、単に「日々の慣(なら)わし」と考えてもよい。日単位の記述であるが、記憶の断片が残るので、備忘録やメモになっていたりする。
なぜ、ここで時間にこだわるのか。私たち生物は、時間を食べて生きているようにも思える。とくに人間社会では、すべてが時間によって動かされていく。そうは言っても、もともと時間などは存在をしないのかもしれない。私たちの活動や運動が、それの必要性をかもし出してだけにすぎないからである。
つまり、このプログはあまり堅苦しく考えないで、ただ思いつくことを気ままに書き連ねてゆけばよいのである。すると、時間の経過にともなった考え方の変化が保存される。
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