rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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無駄と無為、無意味の多い私の一生。
私の一生といっても、まだ終わったわけではない。しかし、今までのことを考えると、何ともやりきれない気持ちになってしまう。ムダとムイがあまりにも多く、ほとんどがムイミなことであったからだ。つまり、満足なことは何一つできなかった。つくづく後悔をするというか、まことに慙愧に耐えない。
おそらく、そんな状態で終わってしまうのだろう。しかし、健康については大いに勉強をした。それも泥縄式で、自分自身の必要にせまられてやったこと。高血圧症になったり、糖尿病にかかったからである。そして、何とかして逃れたいために、かなりの勉強をした。
その結果、それらの症状は何とか治った次第。努力と言っても、そんな程度である。考えてみれば、そもそも人生がムダであったのかもしれない。
私の一生といっても、まだ終わったわけではない。しかし、今までのことを考えると、何ともやりきれない気持ちになってしまう。ムダとムイがあまりにも多く、ほとんどがムイミなことであったからだ。つまり、満足なことは何一つできなかった。つくづく後悔をするというか、まことに慙愧に耐えない。
おそらく、そんな状態で終わってしまうのだろう。しかし、健康については大いに勉強をした。それも泥縄式で、自分自身の必要にせまられてやったこと。高血圧症になったり、糖尿病にかかったからである。そして、何とかして逃れたいために、かなりの勉強をした。
その結果、それらの症状は何とか治った次第。努力と言っても、そんな程度である。考えてみれば、そもそも人生がムダであったのかもしれない。
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