忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[1460]  [1459]  [1458]  [1457]  [1451]  [1449]  [1441]  [1435]  [1440]  [1434]  [1430
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

老いてゆく、その寂しさに耐える術なし。


古希を過ぎたころから、何となく「老いてゆく」ことが心細く、寂しいことに感じ始めた。そして、それを忘れようとしても、なかなかムリである。なぜそのような気持ちになったかを考えてみると、おそらく病(やまい)と死が、後に残ってしまった人生だからであろう。

まったく生老病死(しょうろうびょうし)の「老」の先には「病」があって、さらに「死」が残っている。そんな状態で実際には何もできないことが、寂しいのかもしれない。

つまり、もはや対策がないのである。だからその寂しさに耐える術や方法も見つからない。ただ、対策のない傾向に、じっと我慢をするしかない。そんなことを考えるようになったのである。老いてゆくのは、実につらいことではないだろうか。
PR
忍者ブログ [PR]