rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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老いてゆく、その寂しさに耐える術なし。
古希を過ぎたころから、何となく「老いてゆく」ことが心細く、寂しいことに感じ始めた。そして、それを忘れようとしても、なかなかムリである。なぜそのような気持ちになったかを考えてみると、おそらく病(やまい)と死が、後に残ってしまった人生だからであろう。
まったく生老病死(しょうろうびょうし)の「老」の先には「病」があって、さらに「死」が残っている。そんな状態で実際には何もできないことが、寂しいのかもしれない。
つまり、もはや対策がないのである。だからその寂しさに耐える術や方法も見つからない。ただ、対策のない傾向に、じっと我慢をするしかない。そんなことを考えるようになったのである。老いてゆくのは、実につらいことではないだろうか。
古希を過ぎたころから、何となく「老いてゆく」ことが心細く、寂しいことに感じ始めた。そして、それを忘れようとしても、なかなかムリである。なぜそのような気持ちになったかを考えてみると、おそらく病(やまい)と死が、後に残ってしまった人生だからであろう。
まったく生老病死(しょうろうびょうし)の「老」の先には「病」があって、さらに「死」が残っている。そんな状態で実際には何もできないことが、寂しいのかもしれない。
つまり、もはや対策がないのである。だからその寂しさに耐える術や方法も見つからない。ただ、対策のない傾向に、じっと我慢をするしかない。そんなことを考えるようになったのである。老いてゆくのは、実につらいことではないだろうか。
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