rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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脳を他とする自信なく、NOのままなり。
いつごろからだろうか、何となく脳について考え始めたことがある。ふと感じたことであるが、支配と被支配の関係。もしかしたら、脳は人間に寄生している別種の生物かもしれない。ミトコンドリアやマクロファージ、それ以下の大腸菌なども人間の機能の一部と考えれば、考えられないこともない。
さらに、心が脳にあるという考え方。しかし、むしろ脳に流れる血液のほうが問題で大切。聖書は、何かを暗示しているように思う。もしかしたら、「考える脳」とは錯覚で、血液を忘れているのかもしれない。
生きている意味などありえないのだろうか? なぜならば、私たちは「生きている」のではなく「生かされている」のだから。何でも意味を求める脳であり、自分自身に考えを及ぼさないためのカモフラージュかもしれない。
いつごろからだろうか、何となく脳について考え始めたことがある。ふと感じたことであるが、支配と被支配の関係。もしかしたら、脳は人間に寄生している別種の生物かもしれない。ミトコンドリアやマクロファージ、それ以下の大腸菌なども人間の機能の一部と考えれば、考えられないこともない。
さらに、心が脳にあるという考え方。しかし、むしろ脳に流れる血液のほうが問題で大切。聖書は、何かを暗示しているように思う。もしかしたら、「考える脳」とは錯覚で、血液を忘れているのかもしれない。
生きている意味などありえないのだろうか? なぜならば、私たちは「生きている」のではなく「生かされている」のだから。何でも意味を求める脳であり、自分自身に考えを及ぼさないためのカモフラージュかもしれない。
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