rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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それぞれに構築しよう、「知的空間」。
この五七七で作られる場を、「知的空間」と言います。
それは、大げさにいうと一つの次元なのです。
そして、個別というか各自の固有な場所なのです。
なお、「知的空間」については、
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan.html
さらに、「その奥義」については、
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan_ougi.html
を参照してください。
よろしく。
この五七七で作られる場を、「知的空間」と言います。
それは、大げさにいうと一つの次元なのです。
そして、個別というか各自の固有な場所なのです。
なお、「知的空間」については、
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan.html
さらに、「その奥義」については、
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan_ougi.html
を参照してください。
よろしく。
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いつの日か記憶薄らぎ、朧気(おぼろげ)になる。
ここのところ、何となく度忘れや記憶違いがあるんです。
もしかしたら、認知症が始まっているのかもしれません。さらに、アルツハイマー病がかっているのかも?
それはともかく、記憶が薄らいでいくようです。
コンピュータのメモリーなども、記憶が薄らぐといいます。そのために、リフレッシュというか、内容の再書き込みをするようです。
現在のものは知りませんが、私がコンピュータを学んだ今から半世紀(50年)ほど昔は、そのようなことを言いました。
何かの拍子に、ペロンと消えてしまうようなことがあるのでしょうか。
ここのところ、何となく度忘れや記憶違いがあるんです。
もしかしたら、認知症が始まっているのかもしれません。さらに、アルツハイマー病がかっているのかも?
それはともかく、記憶が薄らいでいくようです。
コンピュータのメモリーなども、記憶が薄らぐといいます。そのために、リフレッシュというか、内容の再書き込みをするようです。
現在のものは知りませんが、私がコンピュータを学んだ今から半世紀(50年)ほど昔は、そのようなことを言いました。
何かの拍子に、ペロンと消えてしまうようなことがあるのでしょうか。
いつまでも思い出残る、公園の池。
多摩ニュータウンの中には多くの公園があって、池があるところもあります。そして、その池が曲がりなりにも昔あった地形を利用して、そのまま残されたところもあるのです。
例えば、長池公園の三つの池です。
そして、まだニュータウンが開発される前に私は、その池に何回か行きました。魚を釣っている人たちがいました。
私は魚釣りをしませんが、見ているのが好きだったからです。
むろん、池の回りの地形は、大きく変化をしています。
しかし、池自体は護岸を除いて、ほとんど昔のままです。
そんなために、思い出が未だに残っているので、行く度にとても楽しい場所になりました。
多摩ニュータウンの中には多くの公園があって、池があるところもあります。そして、その池が曲がりなりにも昔あった地形を利用して、そのまま残されたところもあるのです。
例えば、長池公園の三つの池です。
そして、まだニュータウンが開発される前に私は、その池に何回か行きました。魚を釣っている人たちがいました。
私は魚釣りをしませんが、見ているのが好きだったからです。
むろん、池の回りの地形は、大きく変化をしています。
しかし、池自体は護岸を除いて、ほとんど昔のままです。
そんなために、思い出が未だに残っているので、行く度にとても楽しい場所になりました。
いつか来たなつかしい場所、木漏れ日(こもれび)の道。
まったく同じ場所ではないのですが、それでも「はっ」とするような懐かしい(なつかしい)場所があります。
鎌倉の佐助や、かつての大仏切り通しほどには大きくありませんが、多摩にも切り通しがたくさんありました。そして、そのほとんどは多摩ニュータウンが開発されて、なくなってしまいました。
でも、町田市との境をちょっと超えると、今でも残っているところがあります。そして、そんなところを通ると、何とも懐かしい記憶が蘇って(よみがえって)くるのです。
そんなご経験が、あなたにもありませんか?
まったく同じ場所ではないのですが、それでも「はっ」とするような懐かしい(なつかしい)場所があります。
鎌倉の佐助や、かつての大仏切り通しほどには大きくありませんが、多摩にも切り通しがたくさんありました。そして、そのほとんどは多摩ニュータウンが開発されて、なくなってしまいました。
でも、町田市との境をちょっと超えると、今でも残っているところがあります。そして、そんなところを通ると、何とも懐かしい記憶が蘇って(よみがえって)くるのです。
そんなご経験が、あなたにもありませんか?
いつ来ても楽しいところ、多摩ミュージアム。
多摩市の郷土博物館が、いつの間にか「パルテノン多摩 歴史ミュージアム」という名前に変わっていました。
しかし、展示されている内容については名前が激変したほどに、変わっていません。
私は、多摩ニュータウンができる前に、よく多摩の山林を歩いたものです。「山林に自由存す」とは思いませんでしたが、とにかくパストラーレの気分に浸った(ひたった)ものです。
そのころの面影が、ここへくると偲(しの)ばれます。
貴重な映像や資料が、多く残っているからです。
皆さんも、行かれては?
多摩市の郷土博物館が、いつの間にか「パルテノン多摩 歴史ミュージアム」という名前に変わっていました。
しかし、展示されている内容については名前が激変したほどに、変わっていません。
私は、多摩ニュータウンができる前に、よく多摩の山林を歩いたものです。「山林に自由存す」とは思いませんでしたが、とにかくパストラーレの気分に浸った(ひたった)ものです。
そのころの面影が、ここへくると偲(しの)ばれます。
貴重な映像や資料が、多く残っているからです。
皆さんも、行かれては?
なにもかも、するのがいやに、なってしまった。
でも、いまインプットをしてるじゃないか? と言われそう。
そうでない。
さっきまでの気分を思い出して、上の句を作った次第。
気分を取り直して、パソコンを始めたのだ。
こころの持ち方が、健康に大きな影響を与えるらしい。
だから、いつも前向きに明るく考えることがいいのではないか?
しかし、体調が悪いと気分まで滅入って(めいって)しまう。
昔から「病は気から」などというのも、ある程度の事実に基づいているのだろうか。
でも、いまインプットをしてるじゃないか? と言われそう。
そうでない。
さっきまでの気分を思い出して、上の句を作った次第。
気分を取り直して、パソコンを始めたのだ。
こころの持ち方が、健康に大きな影響を与えるらしい。
だから、いつも前向きに明るく考えることがいいのではないか?
しかし、体調が悪いと気分まで滅入って(めいって)しまう。
昔から「病は気から」などというのも、ある程度の事実に基づいているのだろうか。
急速に老けていくのか? 病(やまい)の後で。
身体はちょっと懈い(だるい)だけであるが、こころが問題である。
精神的に、かなりの傷害が起こったみたい。
何となく何事に対しても「やる気」がしない。
この五七七も、高守さんと千首の約束をした手前、せっせと書き込んでいる。生きているうちに何とかしたいという強迫観念からだろうか。
考えてみれば、そんなことはどうでもいいのかもしれない。
しかし、五七七は身体やこころに負担をかけないで、気楽にできる短詞形であるということが、つくづくとわかった。
嘘だと思ったら、やってご覧なさい。
身体はちょっと懈い(だるい)だけであるが、こころが問題である。
精神的に、かなりの傷害が起こったみたい。
何となく何事に対しても「やる気」がしない。
この五七七も、高守さんと千首の約束をした手前、せっせと書き込んでいる。生きているうちに何とかしたいという強迫観念からだろうか。
考えてみれば、そんなことはどうでもいいのかもしれない。
しかし、五七七は身体やこころに負担をかけないで、気楽にできる短詞形であるということが、つくづくとわかった。
嘘だと思ったら、やってご覧なさい。