rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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仕方なく、自分自身で医学の勉強!
院内感染をしたらしく、体内に何らかの菌が入った。
しかし、そんなことは担当の医師に聞けない。また、通っている歯科医師にも聞けない。
私が、先生に「聞けない」のではなく、先生に「聞いても納得のできる返答が聞けない」のである。
おそらく、血液中にエイズ菌・肝炎菌・歯周菌などの悪性の菌が増えてしまったのであろう。また、クリプトコッカスのようなものが入ったのかもしれない。
そんなことをある程度詳しく知って、その対策をしたいのだが。つまり、傾向を知らないと対策ができないからだ。
学生時代にも、「傾向と対策」という受験誌があった。
医師は、「変だなぁ。まだ、残っている」と言う。何が、どのように残って、どうなっているかなどの説明はない。
歯科医師は、「歯周菌が血液に常駐すると、どうなるか」とか「糖尿病の患者は、歯周病が治りにくい」などと言わない。
そこで、仕方なく自分自身で医学の勉強までする羽目になる。
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院内感染をしたらしく、体内に何らかの菌が入った。
しかし、そんなことは担当の医師に聞けない。また、通っている歯科医師にも聞けない。
私が、先生に「聞けない」のではなく、先生に「聞いても納得のできる返答が聞けない」のである。
おそらく、血液中にエイズ菌・肝炎菌・歯周菌などの悪性の菌が増えてしまったのであろう。また、クリプトコッカスのようなものが入ったのかもしれない。
そんなことをある程度詳しく知って、その対策をしたいのだが。つまり、傾向を知らないと対策ができないからだ。
学生時代にも、「傾向と対策」という受験誌があった。
医師は、「変だなぁ。まだ、残っている」と言う。何が、どのように残って、どうなっているかなどの説明はない。
歯科医師は、「歯周菌が血液に常駐すると、どうなるか」とか「糖尿病の患者は、歯周病が治りにくい」などと言わない。
そこで、仕方なく自分自身で医学の勉強までする羽目になる。
モルダーとキホーテたちは、異端児なのか?
「病膏肓に入る」(やまいこうこうにいる)と言います。もはや、治らない状態に入ると、何をするかわからない、私も心配です。
「異端児」と「キ印」の境界は、どうもはっきりしないようですね。
『Xファイル』のフォックス=モルダーのように、あまり追求をしすぎると組織内(FBI)でも、異端児になってしまうみたい。
いっぽう、ラ・マンチャの男ドン=キホーテは特異な分野に興味を持ちすぎて、自分自身が過去の時代の騎士になってしまう。従者と遍歴の旅をするのであるが、最後は軍法会議(軍事裁判のような宗教裁判)にかけられる。
そして、物語から出て作者セルバンテスまでが、……
いったい、この世の現実とは何か?
「病膏肓に入る」(やまいこうこうにいる)と言います。もはや、治らない状態に入ると、何をするかわからない、私も心配です。
「異端児」と「キ印」の境界は、どうもはっきりしないようですね。
『Xファイル』のフォックス=モルダーのように、あまり追求をしすぎると組織内(FBI)でも、異端児になってしまうみたい。
いっぽう、ラ・マンチャの男ドン=キホーテは特異な分野に興味を持ちすぎて、自分自身が過去の時代の騎士になってしまう。従者と遍歴の旅をするのであるが、最後は軍法会議(軍事裁判のような宗教裁判)にかけられる。
そして、物語から出て作者セルバンテスまでが、……
いったい、この世の現実とは何か?
空しかる「この世は舞台」、からくり人形。
いったい、人生とは何であろうか?
ふつう、自分は生きていると考えるのだが、実際には生かされているのではないか。養鶏場のニワトリのように、……
W.シェークスピアは「この世は舞台(ぶたい)」と言って、「男も女も役者」と書き残しています。
私は、学生のころから「傀儡師(くぐつし)が傀儡(くぐつ)を動かしている」ようなものではないかと、懸念をしています。
なお、シェークスピアは
<ついていのないのは、運がないのではなく、自分のせいだ。>
とも、言っているようです。
いったい、人生とは何であろうか?
ふつう、自分は生きていると考えるのだが、実際には生かされているのではないか。養鶏場のニワトリのように、……
W.シェークスピアは「この世は舞台(ぶたい)」と言って、「男も女も役者」と書き残しています。
私は、学生のころから「傀儡師(くぐつし)が傀儡(くぐつ)を動かしている」ようなものではないかと、懸念をしています。
なお、シェークスピアは
<ついていのないのは、運がないのではなく、自分のせいだ。>
とも、言っているようです。
チビマルコ、マルコのイメージ、ちょっと異なる。
言葉というものは、不思議なイメージをもつものですね。
ちびまる子ちゃんは、私の大好きな番組です。とくに、おじいさんの発言には感心させられます。
最後に、で~んと出るところなどは、まったく素晴らしい。
いっぽう、マルコは「マルコの福音書」でお馴染み(おなじみ)。
私は、「ルカの福音書」とその続編の「使徒行伝」を愛読していますが、短くて簡潔な「マルコ」も必要に応じて、ときどき読みます。
そして、何となくちびまる子ちゃんとマルコが関係あるのではないかと考えるようになったのです。
何となく「なんじゃらほい」がユダヤ語であって、神を賛美する言葉という理屈とも似ていますが、……
なんじゃらほい。
言葉というものは、不思議なイメージをもつものですね。
ちびまる子ちゃんは、私の大好きな番組です。とくに、おじいさんの発言には感心させられます。
最後に、で~んと出るところなどは、まったく素晴らしい。
いっぽう、マルコは「マルコの福音書」でお馴染み(おなじみ)。
私は、「ルカの福音書」とその続編の「使徒行伝」を愛読していますが、短くて簡潔な「マルコ」も必要に応じて、ときどき読みます。
そして、何となくちびまる子ちゃんとマルコが関係あるのではないかと考えるようになったのです。
何となく「なんじゃらほい」がユダヤ語であって、神を賛美する言葉という理屈とも似ていますが、……
なんじゃらほい。
老いてきて、人間嫌いにいつしかなりぬ。
誰でもそうかわかりませんが、私は面倒なことが嫌いです。
とくに、還暦を過ぎたころから、煩わしいことをしないようになりました。
若いころは、何にでも興味がありましたが、高齢になると必要以外のことはしたくありません。なぜでしょうか。
そんな中で、どうしても日々の「生きている証明」が必要です。
そこで、このような五七七という安易な日記を付けるようになりました。少なくとも、自分自身の「知的空間」が構築できるからです。
あなたも、いかがですか?
誰でもそうかわかりませんが、私は面倒なことが嫌いです。
とくに、還暦を過ぎたころから、煩わしいことをしないようになりました。
若いころは、何にでも興味がありましたが、高齢になると必要以外のことはしたくありません。なぜでしょうか。
そんな中で、どうしても日々の「生きている証明」が必要です。
そこで、このような五七七という安易な日記を付けるようになりました。少なくとも、自分自身の「知的空間」が構築できるからです。
あなたも、いかがですか?
五七七、「知的空間」、その中にいる。
まさしく、その通り。
説明するまでもないでしょう。
なお、五七七は
http://rikinf.web.infoseek.co.jp/nyu_577.html
「知的空間」は、
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan.html
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan_ougi.html
の通りです。
まさしく、その通り。
説明するまでもないでしょう。
なお、五七七は
http://rikinf.web.infoseek.co.jp/nyu_577.html
「知的空間」は、
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan.html
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan_ougi.html
の通りです。
「生きている証明」として、五七七する。
この五七七は、まったく新しい短詞形です。
俳句は、幽玄ではあるが、ちょっと舌足らず。そして、短歌は上の句(五七五)に対して、下の句(七七)が冗長の嫌いがあるようです。
もっとも、万葉の時代に考えられたものですから、忙しい(せわしい)現代において、そのままの形を用いるのは時代遅れなのかもしれません。
とくに、若い世代には。
そこで、俳句と短歌の中間、五七七なんです。
なお、五七七については、下記を参考にしてください。
http://rikinf.web.infoseek.co.jp/nyu_577.html
この五七七は、まったく新しい短詞形です。
俳句は、幽玄ではあるが、ちょっと舌足らず。そして、短歌は上の句(五七五)に対して、下の句(七七)が冗長の嫌いがあるようです。
もっとも、万葉の時代に考えられたものですから、忙しい(せわしい)現代において、そのままの形を用いるのは時代遅れなのかもしれません。
とくに、若い世代には。
そこで、俳句と短歌の中間、五七七なんです。
なお、五七七については、下記を参考にしてください。
http://rikinf.web.infoseek.co.jp/nyu_577.html