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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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十王が、いるかいないか? 死後の知覚に?


人が死んだら、閻魔大王を初めとする十柱の仏が、生前の行いや遺族の供養に基づいて裁くと言います。

私たちが死んでしまえば、何も意識をすることができないのでしょうか?
それにしても、洋の東西を問わず似たような話が多くあります。

学問や理論と異なる次元のことが、もしかしたらあるのかもしれません。
私は、それを心配するのです。

死後の世界などという空間があるのではなく、時空がまったく異なる次元での知覚が、あるいはあるのではないかと恐れるのです。

なぜならば、「虫の知らせ」とか「神隠し」などという異次元の現象が昔から多くあるからです。
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一騎打ちが、できないほどに相手は強い。


パソコンでする将棋のことである。
相手を有段者クラスとすると、けちょんけちょんに負けてしまう。
アルゴリズムがわからないと、そんなことになる。
そこで、二枚落ち、つまり相手に飛車と角行を抜いていただく。
それで、何とか勝てる。

孫子や荀子(じゅんし)、さらにはクラウゼビッツなどの言うとおり。

そんなことを

  将棋

にまとめてみました。
牛頭・馬頭(ごず・めず)が苛(さいな)みており、生前のこと。


まったく馬鹿げたことである。と、まぁそんなふうに考える人が多い。
しかし、正直言って、私は何となく不安である。まだ死んだ体験がなくて、わからないからである。

なお、「馬」という字を「め」と読むことは知っていが、「牛」という字の「ご」を具体的には知らなかった。

この間、シェーキーズに言ったら、牛来(ごらい)さんという若くて美しい女性がいた。いや、そうでなくて「若くて美しい女性」がいたので、名札を見たら「牛来」と書いてあったのだ。

馬(むま)のほうは、将棋の角行の裏に「龍馬」(りゅうめ)と書いてあるので、小学生のときから知っていた。
生前のすべてを写す、浄頗梨鏡(じょうはりきょう)。


死んでから五七日すると、地蔵菩薩の裁きを受けるという。
五七日で、五七七日ではない。初七日から数えて、五人目の面接である。むろん、行いのよい人は、そこまで行かないらしい。

いったい、本当だろうか。
立正大師の書いた『十王讃嘆鈔』(じゅうおうさんだんしょう)に書いてあった。
その書は、有名な『十王経』に基づいている。
源信の『往生要集』にも、同じようなことが出ている。

源信や日蓮のような博学の人が書き残しているのだから、もしかしたら本当のことかもしれない。

もしかして、本当のことであった場合も考えておく必要があると、私は思うのだが、……
寝苦しき夜も、いつしか風が出てきた。


夏の夜は、網戸(あみど)にしている。クーラーは使わない。
高齢になると、神経痛が出てしまうからだ。

ちょっと暑苦しかったが、やがて風が出てきた。
気持がよくなって、救われた感じ。

人生においても、そんなことがあるようだ。
「楽あれば苦あり」などと言う。
同じ状態が続くことは、むしろ珍しい。

時間とともに、どうしても人間の身体は衰えていく。
仕方のないことであろう。

限りなくある可能性、失いてゆく。


最初にあった限りない可能性を一つずつ失ってゆき、最後には力が尽きて終わってしまうのでしょうか。

将棋などのゲームをする場合はともかく、実際の人生においても、そのようなことが言えそうです。

幸福な一生を満足とともに終えることができるような人は、めったにいないのではないでしょうか。

たいがいは、悔いと無念さが残ってしまうようです。
人生にも、いわゆる持ち時間が限られています。だから、あまり考えすぎても後がダメ。それは、将棋などと同じでしょう。

私の人生の持ち時間も、だいぶ減ってきたようです。
麻雀で、「ノーテン」なるは「No点牌(のーてんぱい)」の略。


「ノーテン」などと言うと、何となく変なことを考えてしまいます。
しかし、「点ぱっていない」という意味なんです。「点ぱる」とは、上がりができる状態のことです。

そして、点牌(てんぱい)とは、上がれる牌(ぱい)の一連の並びのことでしょう。このような略語は、なかなか便利です。

日常でも、向かい側のことを「対面」(といめん)と言ったりします。対面(たいめん)ではありません。
また、中村さんのニックネームを「ちゅんちゃん」などと言うのも、麻雀の言葉からきたのかも?

日常の言葉は、いろいろな方面から入ってくるようです。
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