rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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救急車、走りておりぬ、夜の静寂(しじま)に!
今も救急車が、けたたましく走っています。
いったい、どんな人がどんな状態で運ばれているのでしょうか。
ここのところ、ひっきりなしに救急車の音が聞こえてきます。
おそらく、交通事故以外にも、高齢になった人が脳梗塞や心筋梗塞で倒れる場合が多いのではないでしょうか。
私は、あまり救急車に乗りたくはありません。
今も救急車が、けたたましく走っています。
いったい、どんな人がどんな状態で運ばれているのでしょうか。
ここのところ、ひっきりなしに救急車の音が聞こえてきます。
おそらく、交通事故以外にも、高齢になった人が脳梗塞や心筋梗塞で倒れる場合が多いのではないでしょうか。
私は、あまり救急車に乗りたくはありません。
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オシッコをガマンするのは、身体に悪い。
ユダヤのラビも、同じことを言っています。
古くから、そのように考えられていたのでしょう。
「出物腫れ物所嫌わず」などとも言います。
あまり我慢をしないでください。
もしも、膀胱がパンパンに貯まっているときに、転んだりすると大変なことになります。膀胱が破れて、瀕死の状態になるからです。
お互いに気をつけましょう。
とくに、高齢の場合は。
ユダヤのラビも、同じことを言っています。
古くから、そのように考えられていたのでしょう。
「出物腫れ物所嫌わず」などとも言います。
あまり我慢をしないでください。
もしも、膀胱がパンパンに貯まっているときに、転んだりすると大変なことになります。膀胱が破れて、瀕死の状態になるからです。
お互いに気をつけましょう。
とくに、高齢の場合は。
同じ句が、いくつあっても、よいではないか?
同じ句が重複するのは、ふつう避けます。
間違って編集されてしまったからです。『論語』などにも、まったく同じヶ所が、別のところに含まれていたりしました。
しかし、この五七七では同じものがいくつあってもかまいません。
それだけ印象が深いと、考えればよいからです。
なお、同じ句の中に同じ言葉がいくつあってもよろしい。
同義反復(トゥトロジー)であってさえも、よいのです。
栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)の月を歌った「あかあか」のようにです。
同じ句が重複するのは、ふつう避けます。
間違って編集されてしまったからです。『論語』などにも、まったく同じヶ所が、別のところに含まれていたりしました。
しかし、この五七七では同じものがいくつあってもかまいません。
それだけ印象が深いと、考えればよいからです。
なお、同じ句の中に同じ言葉がいくつあってもよろしい。
同義反復(トゥトロジー)であってさえも、よいのです。
栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)の月を歌った「あかあか」のようにです。
簡単なことでも、とくに問題はない。
この五七七は、まったく自由な短詞形。
だから、身近な簡単なこと、取るに足らないこと、そんなことでも自分自身に意味があると考えたら、作品になるのです。
価値があるかないか、文学として優れているかどうか、そのようなことは個人差があるので、自分がよいと思えば、それでよいのです。
この五七七は、まったく自由な短詞形。
だから、身近な簡単なこと、取るに足らないこと、そんなことでも自分自身に意味があると考えたら、作品になるのです。
価値があるかないか、文学として優れているかどうか、そのようなことは個人差があるので、自分がよいと思えば、それでよいのです。
「尿」という文字が気になる、手術の後は。
昨年の夏に、前立腺肥大の手術を受けた。その結果、外科的には大成功。まったくオシッコの苦しさはなくなった。しかし、その後「尿」という文字が目にとまりやすくなったようだ。
例えば、「尿前の関とはどういういわれだろう?」などと考える。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』に「尿前の関」というのが出ていた。それは、「ひとまえのせき」と読むらしい。宮城県玉造郡鳴子町尿前にあって、近くに鳴子公園や日本こけし館がある。
北羽前街道から、ちょっと入ったところである。
以上、前立腺肥大症をやってから、「尿」という字が目に入ってしかたがないという単なるお話。
昨年の夏に、前立腺肥大の手術を受けた。その結果、外科的には大成功。まったくオシッコの苦しさはなくなった。しかし、その後「尿」という文字が目にとまりやすくなったようだ。
例えば、「尿前の関とはどういういわれだろう?」などと考える。
松尾芭蕉の『おくのほそ道』に「尿前の関」というのが出ていた。それは、「ひとまえのせき」と読むらしい。宮城県玉造郡鳴子町尿前にあって、近くに鳴子公園や日本こけし館がある。
北羽前街道から、ちょっと入ったところである。
以上、前立腺肥大症をやってから、「尿」という字が目に入ってしかたがないという単なるお話。
梅雨(つゆ)の日の半日だけど、至福の時間
梅雨の最中、朝からどんより空。ときどき雨模様。
そこで、仙川にある床屋と風呂に行くことにした。
雨のため床屋は空いていた。思ったよりも早く終わったので、桐朋音楽学校の角にあるミスタードーナッツに行ってホット・カフェオレを飲む。ドーナットも3つほどパクリ。
それから、風呂。床屋の後では、髪を洗い直さなければいけない。化学薬品を頭の肌に塗り込んでいるからである。その風呂はサウナと水風呂の交互。10分と1分。それを3セットする。
すると、身体が引き締まって気持がよい。至福のときと言ってよかろう。
その後は、石けんなしに肌の垢(あか)がボロボロと面白いようによれる。
風呂から出ると桜ヶ丘まで戻って、吉野家で水分の補給。豚丼とともに、中瓶ビールで一杯。これも至福のときである。
至福の半日の費用は、下記のように3721円であった。まったく、安いものである。
京王線は、わずかな費用で安全に仙川まで運んでくれる。徳富蘆花が京王電軌の悪口を言っていた時代が私には嘘みたい。「みみずのたわごと」ではないけれど、……
また、私にはミスタードーナッツのカフェオレがお代わりできるので、有りがたい。いつも二杯飲む。かつては三杯だったのであるが、最近は腹が下ってしまうみたい。
風呂はスーパー銭湯であるので、10時からやっている。都内であるのに、温泉に浸った(ひたった)ような気分になる。何とも有りがたい。
また、吉野家の豚丼はお馴染み。牛丼がなかったときに、何回か食べて好きになってしまった。何となく、牛よりもさっぱりしている。
あなたは、そう思いませんか。
【至福の費用の明細】
聖蹟桜ヶ丘~仙川 往復 380円
床屋 シルバー 1600円
ミスタードーナッツ(仙川ショップ) 561円
(内訳:ホットカフェオレ・カリーパンのセット 320円
ハニーファッション 126円 エンゼルクリーム 115円)
風呂 回数券を買ってあるので、その都度いちいち計算しない。平日・祝日ともに、4500円で10回入れる。つまり、1回450円。
吉野屋 730円
(内訳:豚丼(並) 330円
ビール(500ml) 400円)
以上
梅雨の最中、朝からどんより空。ときどき雨模様。
そこで、仙川にある床屋と風呂に行くことにした。
雨のため床屋は空いていた。思ったよりも早く終わったので、桐朋音楽学校の角にあるミスタードーナッツに行ってホット・カフェオレを飲む。ドーナットも3つほどパクリ。
それから、風呂。床屋の後では、髪を洗い直さなければいけない。化学薬品を頭の肌に塗り込んでいるからである。その風呂はサウナと水風呂の交互。10分と1分。それを3セットする。
すると、身体が引き締まって気持がよい。至福のときと言ってよかろう。
その後は、石けんなしに肌の垢(あか)がボロボロと面白いようによれる。
風呂から出ると桜ヶ丘まで戻って、吉野家で水分の補給。豚丼とともに、中瓶ビールで一杯。これも至福のときである。
至福の半日の費用は、下記のように3721円であった。まったく、安いものである。
京王線は、わずかな費用で安全に仙川まで運んでくれる。徳富蘆花が京王電軌の悪口を言っていた時代が私には嘘みたい。「みみずのたわごと」ではないけれど、……
また、私にはミスタードーナッツのカフェオレがお代わりできるので、有りがたい。いつも二杯飲む。かつては三杯だったのであるが、最近は腹が下ってしまうみたい。
風呂はスーパー銭湯であるので、10時からやっている。都内であるのに、温泉に浸った(ひたった)ような気分になる。何とも有りがたい。
また、吉野家の豚丼はお馴染み。牛丼がなかったときに、何回か食べて好きになってしまった。何となく、牛よりもさっぱりしている。
あなたは、そう思いませんか。
【至福の費用の明細】
聖蹟桜ヶ丘~仙川 往復 380円
床屋 シルバー 1600円
ミスタードーナッツ(仙川ショップ) 561円
(内訳:ホットカフェオレ・カリーパンのセット 320円
ハニーファッション 126円 エンゼルクリーム 115円)
風呂 回数券を買ってあるので、その都度いちいち計算しない。平日・祝日ともに、4500円で10回入れる。つまり、1回450円。
吉野屋 730円
(内訳:豚丼(並) 330円
ビール(500ml) 400円)
以上
葬式で、「花のごとくに去る」と言いたり。
テレビで外国の映画を見ていると、葬式のシーンで例えば
「その来たること花のごとくに去る。……されど死のほかに誰か助けを……我らを限りなく死の……」
などのように、牧師(神父)の言う光景がある。
日本の葬式で御文章「白骨の章」などを読むように、おそらく聖書から引用をしているのだろう。
しかし、どの部分から引用するのだろうか?
いままでに、異なったパターンを10以上聞いているのだが。
何となく「詩篇」や「ヨブ記」なんじゃないかと思う。しかし、「詩篇」は150篇もあるので見直すのが面倒。また、「ヨブ記」も大物だ。
そんなわけで、思い切って『RKOホームページ』にある「青空ライブラリ」に「詩篇」と「ヨブ記」を入れようと考えている。
それも、かなり面倒な作業ではあるが。
さて、どうしたものだろうか?
テレビで外国の映画を見ていると、葬式のシーンで例えば
「その来たること花のごとくに去る。……されど死のほかに誰か助けを……我らを限りなく死の……」
などのように、牧師(神父)の言う光景がある。
日本の葬式で御文章「白骨の章」などを読むように、おそらく聖書から引用をしているのだろう。
しかし、どの部分から引用するのだろうか?
いままでに、異なったパターンを10以上聞いているのだが。
何となく「詩篇」や「ヨブ記」なんじゃないかと思う。しかし、「詩篇」は150篇もあるので見直すのが面倒。また、「ヨブ記」も大物だ。
そんなわけで、思い切って『RKOホームページ』にある「青空ライブラリ」に「詩篇」と「ヨブ記」を入れようと考えている。
それも、かなり面倒な作業ではあるが。
さて、どうしたものだろうか?