rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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何となく面白くない気分が増えた。
若いころは、楽しいことが多かった。しかし、還暦や古稀を過ぎたころから、憂鬱な気持ちが多くなり、何となく面白くない気分が増えた。つまり、「鬱陶しい」「億劫」そして「思うようにいかない」などの身体の衰えのためのジレンマである。
おそらく、身体の調子が快調でなくなったためかもしれない。具合の悪い箇所が、代わる代わる出てきて、もはや一病息災を超えて、二病息災。それが、ふつうの健康状態になってしまった。
身体自体が不健康であるから、もはや精神も調子が悪いのかもしれない。よく「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」という。ユウェナリスの『風刺詩集』に、「身体が健康であれば、おのずから精神も健全であるはず」とある。
若いころは、楽しいことが多かった。しかし、還暦や古稀を過ぎたころから、憂鬱な気持ちが多くなり、何となく面白くない気分が増えた。つまり、「鬱陶しい」「億劫」そして「思うようにいかない」などの身体の衰えのためのジレンマである。
おそらく、身体の調子が快調でなくなったためかもしれない。具合の悪い箇所が、代わる代わる出てきて、もはや一病息災を超えて、二病息災。それが、ふつうの健康状態になってしまった。
身体自体が不健康であるから、もはや精神も調子が悪いのかもしれない。よく「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」という。ユウェナリスの『風刺詩集』に、「身体が健康であれば、おのずから精神も健全であるはず」とある。
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「半分」と「もう半分」は、大きな違い。
「まだ半分残っている」と「もう半分しか残っていない」ということは、その観察対象が同じでも、心理的にはかなり違ってくる。
私はビールが大好きであるから、ふつうの健康状態のときは毎日大瓶二本から三本。そして、その都度思う。コップで取ると、這ってあるラベルの位置で半分がわかる。ふつうは、「まだ半分残っている」と考えて安心する。しかし、「もう半分しか残っていない」などと、残念に思うこともある。そんなときは無くなると、二本目を空けることが多い。
人生についても、同じことが言えるのではないか。もはや、古稀を過ぎたのだから、当然のこと半分以上を過ぎて、もう半分以下で、僅かしか残っていないのが事実。しかし、それだけ残っていれば、まだまだ何かができると安心している。呑気なことかもしれないが、……。
「まだ半分残っている」と「もう半分しか残っていない」ということは、その観察対象が同じでも、心理的にはかなり違ってくる。
私はビールが大好きであるから、ふつうの健康状態のときは毎日大瓶二本から三本。そして、その都度思う。コップで取ると、這ってあるラベルの位置で半分がわかる。ふつうは、「まだ半分残っている」と考えて安心する。しかし、「もう半分しか残っていない」などと、残念に思うこともある。そんなときは無くなると、二本目を空けることが多い。
人生についても、同じことが言えるのではないか。もはや、古稀を過ぎたのだから、当然のこと半分以上を過ぎて、もう半分以下で、僅かしか残っていないのが事実。しかし、それだけ残っていれば、まだまだ何かができると安心している。呑気なことかもしれないが、……。
次々と身体の不調、引きこもりがち。
加齢によって、健康を維持しにくくなるらしい。どうも、ここのところ体調が何となくよくない。
(1) 寒くなったためか、体温が保てなく、鼻水が出たり、体調が優れない。
(2) 便秘になりがちで、何となく気分がすぐれない。
(3) 水を大量に飲みたくなる。糖尿病のせいかもしれない。
しかし、まだ痛みや痺れなどが身体に表れていない。水を大量に飲んでも、腹痛などはない。ただ、オシッコが近くなるだけである。したがって、かつてのような遠出が億劫になって、つい下か隣のデパートで、買い物をするようになってしまった。
いきおい、引きこもりのような日々の生活になる。しかし、食事の支度や皿洗いなどが面倒であるから、モーニングなどは外食で済ますことが多い。エレベーターで降りると、ビルティというレストランがあって、9時からやっている。また、川崎街道を渡ると吉野家・松屋・なか卯があって、24時間営業で便利。
加齢によって、健康を維持しにくくなるらしい。どうも、ここのところ体調が何となくよくない。
(1) 寒くなったためか、体温が保てなく、鼻水が出たり、体調が優れない。
(2) 便秘になりがちで、何となく気分がすぐれない。
(3) 水を大量に飲みたくなる。糖尿病のせいかもしれない。
しかし、まだ痛みや痺れなどが身体に表れていない。水を大量に飲んでも、腹痛などはない。ただ、オシッコが近くなるだけである。したがって、かつてのような遠出が億劫になって、つい下か隣のデパートで、買い物をするようになってしまった。
いきおい、引きこもりのような日々の生活になる。しかし、食事の支度や皿洗いなどが面倒であるから、モーニングなどは外食で済ますことが多い。エレベーターで降りると、ビルティというレストランがあって、9時からやっている。また、川崎街道を渡ると吉野家・松屋・なか卯があって、24時間営業で便利。
室内もとうとう寒く、今日から暖房。
今朝、室内の温度が18度Cであった。20度Cを割ったのは、この冬で始めて。そこで、室内温度を22度Cに設定をして、エアコンを起動した。すると、10分ほどで20度Cになった。ありがたいことである。
私の住んでいる部屋は、狭いが超高層ビルの一部である。部屋にスプリングクーラらが付いていたり、耐火構造になっている。そんなわけで、建物全体が冷えないのであろう。
12階であるから、空気もよいようである。今までは、熱交換機タイプの換気扇を使っていた。外気を取り入れるときに、室温にしてくれる。したがって、部屋の温度は一定で変わらない。その装置も、なかなか便利でありがたい。
今朝、室内の温度が18度Cであった。20度Cを割ったのは、この冬で始めて。そこで、室内温度を22度Cに設定をして、エアコンを起動した。すると、10分ほどで20度Cになった。ありがたいことである。
私の住んでいる部屋は、狭いが超高層ビルの一部である。部屋にスプリングクーラらが付いていたり、耐火構造になっている。そんなわけで、建物全体が冷えないのであろう。
12階であるから、空気もよいようである。今までは、熱交換機タイプの換気扇を使っていた。外気を取り入れるときに、室温にしてくれる。したがって、部屋の温度は一定で変わらない。その装置も、なかなか便利でありがたい。
トンネルの思い出ありて、懐かしい場所。
小学校へ上がる前に、しばらくの期間、私の家族は鎌倉の扇ヶ谷(おおぎがやつ)に住んでいた。鎌倉駅から線路に沿って、北鎌倉のほうへ坂を上がり、海蔵寺の手前である。そんなわけで、よく周辺を独りで散歩した。
そのころは、自動車道になっている現在の大仏切り通しがなく、人が一人通れるくらいの小さな切り通しがあった。ほんの数メートルだが、そこを抜けると長谷に近道ができた。数年前に行ってみたが、長谷側の出口にゴミが捨ててあって、もはや通れなくなっている。当時、そこでトンネルを出るときに見た明るい光が印象的であった。
もう一つのトンネルは、父に自転車で連れて行ってもらった小坪へ抜ける道。これは、自転車が通れるくらいの切り通し。光明寺から、逗子マリーナに抜ける道だった。そのころは、逗子マリーナはなく、小坪は磯になっていて魚の釣り場であった。辺鄙なところで、湘南サナトリウムなどがあった時代である。
小学校へ上がる前に、しばらくの期間、私の家族は鎌倉の扇ヶ谷(おおぎがやつ)に住んでいた。鎌倉駅から線路に沿って、北鎌倉のほうへ坂を上がり、海蔵寺の手前である。そんなわけで、よく周辺を独りで散歩した。
そのころは、自動車道になっている現在の大仏切り通しがなく、人が一人通れるくらいの小さな切り通しがあった。ほんの数メートルだが、そこを抜けると長谷に近道ができた。数年前に行ってみたが、長谷側の出口にゴミが捨ててあって、もはや通れなくなっている。当時、そこでトンネルを出るときに見た明るい光が印象的であった。
もう一つのトンネルは、父に自転車で連れて行ってもらった小坪へ抜ける道。これは、自転車が通れるくらいの切り通し。光明寺から、逗子マリーナに抜ける道だった。そのころは、逗子マリーナはなく、小坪は磯になっていて魚の釣り場であった。辺鄙なところで、湘南サナトリウムなどがあった時代である。
ほどほどにすべきではないか、健康のこと。
日々の生活に、健康は大切。しかし、そうかと言って健康が生きる目的ではない。健康に注意をするあまり、何となく自分と妻の健康が問題になる。
しかし、まだ互いに身体に痛みや痺れが出たわけではない。何とか日々の生活には、不健康による苦痛がまだ出ていないのである。確かに億劫になったり、気力が失われてしまったことは事実であるが、それは体調によるものではなく、精神的な問題が影響をしているように思う。
何となく、人生の煩わしさを思い知らされた数ヶ月であった。また、義姉の死によって、人生の疑問などを知らされた。信仰などについても、つくづくと愚かしさを思い知らされたのである。そして健康の問題は、そのような背景に隠されていたように思う。
日々の生活に、健康は大切。しかし、そうかと言って健康が生きる目的ではない。健康に注意をするあまり、何となく自分と妻の健康が問題になる。
しかし、まだ互いに身体に痛みや痺れが出たわけではない。何とか日々の生活には、不健康による苦痛がまだ出ていないのである。確かに億劫になったり、気力が失われてしまったことは事実であるが、それは体調によるものではなく、精神的な問題が影響をしているように思う。
何となく、人生の煩わしさを思い知らされた数ヶ月であった。また、義姉の死によって、人生の疑問などを知らされた。信仰などについても、つくづくと愚かしさを思い知らされたのである。そして健康の問題は、そのような背景に隠されていたように思う。
刺す力、ない蚊の動き、秋は深まる。
秋が深まってきても、南向きの暖かい部屋であるから、蚊がいることがある。室内で、まだ秋から冬にかけて、20度C以下になっていない。しかし、すでに弱っているので、肌にとまって刺すことはない。私は安心をして、しばらくじっと蚊の動きを見ている。
やがて、衰えて死んでしまうのだろう。よく見ると、飛んでいるのも精一杯のようだ。勢いが、ないからである。
そして何となく、前に読んだ志賀直哉の蜂か何かの記述のことを思い出す。城崎(きのさき)かどこかの旅館で書いたものだったと思う。しかし、なぜ蚊で蜂のことを思い出したか、私にもわからない。
秋が深まってきても、南向きの暖かい部屋であるから、蚊がいることがある。室内で、まだ秋から冬にかけて、20度C以下になっていない。しかし、すでに弱っているので、肌にとまって刺すことはない。私は安心をして、しばらくじっと蚊の動きを見ている。
やがて、衰えて死んでしまうのだろう。よく見ると、飛んでいるのも精一杯のようだ。勢いが、ないからである。
そして何となく、前に読んだ志賀直哉の蜂か何かの記述のことを思い出す。城崎(きのさき)かどこかの旅館で書いたものだったと思う。しかし、なぜ蚊で蜂のことを思い出したか、私にもわからない。