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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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敵・味方、争うことは愚かなきわみ。


人間同士が敵・味方になって争うほど、愚かなことはない。そうならないようにするほうがよいだろうが、なかなかそうもいかない。なぜならば、利害関係が対立するからである。

それでは、利害関係を対立させないようにすればよい。国家間の問題などはさておき、私はいま自分のことを考える。いったい誰と利害関係が対立するのだろうか。

その相手となるだろう人と付き合わないのがよい。『徒然草』第七十五段に「つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。惑(まど)ひの上に醉へり、醉(よい)の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。」とある。私も、そう思う。
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口腔(こうこう)は体外と似て、不潔でもあり。


口腔(こうこう)すなわち口の中は、体外と同じ環境で不潔になりがちである。トポロジー的に考えても、口から肛門までは体外が身体の中に納められたと言ってよいだろう。

大腸菌が体内に生息していることは承知しているが、口の中にも多くの雑菌がいる。むろん、唾液には殺菌力があるが、食べかすや歯周菌などが影響をして、不潔になりやすい。そして、口臭がくさくなってしまう場合がある。

したがって、ときどき水で口を漱(すす)ぐのがよい。また、食後には歯磨きをして、雑菌が繁殖しないようにしなければならない。とくに、歯間に挟まっている食べかすには注意が必要である。それらが残っていると、菌もそれに取り付くからである。また、歯周菌は歯茎に出血があると、そこから血管に入ってしまう。そして、血管の中に住み着くので、注意しなければならない。
症状は、今日は他人(ひと)の身、明日は我が身か?


ここのところ、知人が次々と病気になっている。血圧が高いとか、糖尿が出るなどである。いずれも、病院に通って大量の飲み薬を処方され、飲んでいるようだ。

実は、私も血圧が高く、尿糖が出るようになってしまった。去年までは、食生活と生活習慣に注意をしたら何とか治ったのだが、今回はそうはいかない。身体のホメオスタシスが、大幅に狂ってしまったためらしい。

回りの多くの人を見ていると、やがて倒れる場合が多い。そして、救急車だ。そのままアウトになってしまう場合もある。また、帰ってもヨイヨイや車椅子になってしまうことも多い。そんなために、いつ自分がそうなるかと、ビクビクしている今日この頃である。しかし、何としても治りたいし、自分の責任で治してみようと思う。
耐えがたき痛みや痺れ、精密検査。


「特定健康診査」や「後期高齢者健康診査」から始まり、再検査や精密検査が大流行(おおはやり)。次々と紹介状を書いて、高価な器具で改めて身体を調べる。何億円という装置は大きな病院にしかないので、紹介状をもってそこへ行くことになる。

何となく患者が高額精密機械を必要としているのではなく、高額精密機械が償却のために患者を必要としている構図である。なぜ、町の開業医が自分の診断に加えて、大病院へ行かせるかというも理由も、それとなくわかる。

私は、耐えがたき痛みや痺れなどがないかぎり、なるべく精密検査をしない。現代の食生活や生活習慣からすると、数億人の人が病気であることも事実であろう。検査を次々とするより、検査をしなくてよい身体にするほうが簡単。戦前はともかく、昭和30年代から国やNHKなどが健康について大いにPR。それが間違っていなければ、今ごろは日本国中に健康な人が満ちあふれていたことでしょう。そして、保険の料率も下がっているはずです。そうならないのは、根本的な問題がある。……
塩・砂糖、入れぬ食事に何とか慣れる。


調味料として、塩や砂糖を用いない食事を始めて久しい。さらに、最近になって醤油さえも使わなくなった。むろん、味噌・ソース・マヨネーズ・ドレッシング・トマトケチャップなどは用いない。そもそも、台所に置いていない。

しかし、塩は「海の精」というのがあって、歯を磨いたり、風呂に入れたりして用いる。甘味料としては「オリゴ糖」がある。小豆を煮たときに、妻が使うのである。善玉菌に、よいという。しかし、私は小豆を煮ても甘くしないで食べる。

塩分の取りすぎが、話題になっている。保存や味付けのために、ほとんどの食べ物に入っているからだ。例えば、パンなどにもかなり多量に含まれている。そんなことで、私は身体のホメオスタシスがダメになって、何とか発病を避けたい一心で、自宅では醤油などもやめた。最初は薄味が気になったが、慣れてしまうと食材自体の自然の味がわかるようになって、ニンジンや大根などの野菜はむろん、何でもおいしく食べられるようになった。
老いてなる大病人は、もう治らない。


高齢になってから、たいがい病持ちになる。多くの病気を併(あわ)せ持つのである。そして、無料の「特定健康診査・後期高齢者健康診査」などで引っかかり、投薬の対象になる。例えば、高血圧と糖尿病の二つ併病の場合。

しかし、その二つの病気は長い間の食生活や生活習慣によって併発したのであるからクスリによって短期間に治療することは、もはやまず不可能です。やはり、ある程度の時間をかけ、根本的に治していくのが基本。ローマ法王で、古希の誕生日に若い信者の献血で血液を交換した人がいたが、翌日に死んでしまった。

治らないから、悪い結果が出ないようにする。例えば、中古車が燃費が悪く、ボウズタイヤになってしまったような場合に、それぞれの部品を治していくと、新車に変えたほうが早い。むしろ、わるいままで大事に利用するのがよい。あまり走らないようにするとか、滑りやすい雨の日は動かさない。その具体的一方法として「血液や腸内細菌、グルミューの改善」、そのためには一時的に砂糖・塩・醤油・味噌などの忌諱(きい)ががある。
生きている証明として、一日一句。


私は、自分自身が生きている証明として、新句(十九音)を一日に一句発表する。それらは、いずれも秀作とは言いがたいけれども、その都度かなりの真実を吐露している。なぜならば、思ったことを正直に内容としているから。

もはや、私の日課のようになってしまった新句(十九音)であるが、それなりに効果がある。とくに、日記は付けていないので、自分の気持ちなどが後になっても、何となく垣間見られる。そして、そのときのことを思い出し、反省などもできるのである。

新句(十九音)は、作のが簡単。だから、ちょっと時間を割(さ)けば、誰にでもできる。俳句や短歌になると、それなりの作法があるが、この新句(十九音)には約束事がほとんどない。とくに、忙しい人々や若い人たちにも効果的な形式ではないだろうか。むろん、老人にも好ましい短詩形である。

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