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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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寝たきりとボケ・ヨイヨイは、いちばん恐い。


元気なうちは、そんなことを考えることがなかった。しかし、ここのところ私は糖尿病になって、さらにかなりの高血圧症。やがて、脳がやられてしまうのではないかと、ぼつぼつ心配である。つまり、寝たきりやボケ・ヨイヨイになるのではないかという恐(おそ)れがやってきた。

いずれも知人において、多くのパターンを見てきている。頭脳明晰であった人が、廃人のようになったケース、現役のころ才媛と言われた女性がアルツハイマー病のために寝たきりになって、しばらくして亡くなったこと。

医学では解決できないことも、まだ多く残っていると思う。それらの病状は、回復をすることなく進んでいって、やがて死をもたらす。そして、死ぬときには本人もわかっていないほど、脳が機能していないようだ。何とも恐(こわ)い。まったく恐(おそろ)ろしい話である。
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あれこれと探し求めることの愚かさ。


現状に満足できないために、あれこれと探し求める。しかし、もう一度じっくりと考えて、すでに身の回りにあるものを工夫することも必要である。

「吾唯足知」という言葉がある。蹲(つくばい)の中央にある「口」の回りに「五」「隹」「止」「矢」という四文字が配してある。

便利ではあっても私には考えがあって、まだ使っていない物がある。例えば、電子レンジと携帯電話。電子によって物質の原子構造まで加熱する方式は、いままでの調理法になかった方式。安全性や健康に関する疑問があるからである。また、携帯電話は利便性があっても、耳つまり脳の近くで、電磁波を強力に作用させるので何となく安全に関して問題が残るからである。「触らぬ神に祟りなし」ではないが、探し求める愚かさが何となく分かった次第。
食べ物のバランスをよく、日々の分量。


食べ物や水が、自分自身の身体を作ることがわかっている。そこで、栄養のバランスを考えて、まんべんなく食べることが大切である。

また、水や飲み物についても考えなければならない。水は安全な自然の生水(なまみず)がよいことは人類の歴史から考えて、何となくわかる。煮沸をした水やペットボトルは衛生的に安全でも、人体には好ましくないであろう。

さらに、日々食べる分量についても注意が必要。あまり多くを食べると、肥満になってしまう。しかし、逆に分量が少なすぎると胃腸に悪いのではないか。つまり、かさが少ないと便の量が少なくなってしまって、便秘からガンになるだろう。したがって、植物繊維などの栄養価があまりない食べのもを多く食べることも、日常的に必要になるのではないだろうか。
ちょっとした注意で保つ、日々の健康。


ちょっとした注意をすることによって、日々の健康が保持できる。食べ物や生活習慣に関して、注意を払うことによって健康な毎日が過ごせることは事実であろう。

反対に、ちょっとした不注意で病気になってしまう。自分自身が気がつかない間に、つまり知らぬ間に、健康を大きく害してしまう場合がある。予防や治療の知識を知らないと、取り返しのつかないことになることがある。とくに、予防は大切である。

食べ物に関しては、衛生の知識が必要である。例えば、生玉子。割った状態で数時間も放置しておいてはいけない。菌が繁殖してしまうからである。したがって、そのまま食べては危ない。捨ててしまうか、改めて加熱をする必要がある。腐敗をしたことを示す臭(にお)いを発生しない菌なので、見た目にはわからないからである。
新しい「歴史・価値観」、手塚作品。


かつて見た手塚作品を思い出して、何となく見たくなった。印象に残っている「ブッダ」のナラダッタとアッサジなどである。YouTubeで探してみたら、「火の鳥・ヤマト編」「火の鳥・異形編」「火の鳥・鳳凰編」「火の鳥・宇宙編(ダイジェスト)」「三つ目がとおる」「アトム」などがあった。

その「三つ目がとおる」は、10分程度のものが三つで一巻。それが、48本。つまり、144本から構成されている。そして、それらを見るついでに、すべて再生リストにした。著作権で問題になって削除をされない限り、反復して見ることもできるでしょう。

それらは、かなり古い作品であるにもかかわらず新しい考え方が出てきて、大いに感動をする箇所がある。作品の中に、新しい歴史観や価値観が含まれているからである。そして、手塚治虫の偉大さを改めて知る。

老いたらば、何がどこかを熟知しておく。


古希を過ぎたころから、ぼつぼつ身の回りを整理しておく必要があるのではないだろうか。身の回りの物品が、どこにあるかを熟知しておく必要がある。しかし、多くの物について覚えることはまず無理だ。したがって、持物を少なくしてしまうほうが手っ取り早いかもしれない。

私は、不要なものをなるべく買わないようにしている。あれば便利なものでも、なければなくて済む場合が多いからだ。電化製品なども、そうであろう。他の理由もあるが、私は電子レンジと携帯電話をまだ持っていない。使った経験がないから、持たない不自由さをあまり切実には感じない。

つまり、持物が少なければ、管理も確実にできる。ただ、私の場合は文献や写真が多いので、それらの整理には特別な工夫が必要になってくる。資料をシソーラスにして、それぞれの位置を覚えておくのである。
騒ぐほど大事ではないテレビのニュース。


私は、あまりテレビを見ない。しかし、妻が見ているのを見ることはある。いつもチラッと見る程度ではあるが、よくもまぁ報道することが次々とあるものだと思う。

ふつう毎日、決まった時間で報道をする。したがって、特番でもないかぎりはニュースの大小は問題にならない。何となく、時間を使えばよいというような内容もある。

必ず毎日するので、とくに事件などのない日のニュースは大事(だいじ)ではないことが多い。「今日は、とくにお伝えすることがないので、音楽をお聞きください」などと言うことをしないので、いきおい番組の内容が玉石混交になってしまう。つまり、見なくてもよいニュースを見せられていることになるのではないだろうか。


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