rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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異星人アリ先生と私の出会い。
『こころ』というタイトルの小説を書こうとしている。その一章「先生と私」。
私は看護学校の学生。まもなく卒業である。ある日、植物園の温室で先生と助手が歩いているのに出会う。後から歩いていく間に、何となく会話がもれ聞こえた。とても興味深い内容であったので、やがて逍遥の仲間に入ったのである。
第二章「先生の思い出」。(「両親と私」じゃない。)
先生の奇行について、初めはわからなかった。それは、ことごとく人間の常識とは異なっていたからである。おそらく、先生は合理的で進化をした神仏にも似た思考をしていたのであろうか。
第三章「先生の遺書」。そこには、驚愕の事実が淡々と述べられていた。短いが、それは先生の私に対する最後の好意であったに違いない。先生が使命を果たさずに、命を絶ってしまったのは、それをするに忍びなかったに違いないからである。
『こころ』というタイトルの小説を書こうとしている。その一章「先生と私」。
私は看護学校の学生。まもなく卒業である。ある日、植物園の温室で先生と助手が歩いているのに出会う。後から歩いていく間に、何となく会話がもれ聞こえた。とても興味深い内容であったので、やがて逍遥の仲間に入ったのである。
第二章「先生の思い出」。(「両親と私」じゃない。)
先生の奇行について、初めはわからなかった。それは、ことごとく人間の常識とは異なっていたからである。おそらく、先生は合理的で進化をした神仏にも似た思考をしていたのであろうか。
第三章「先生の遺書」。そこには、驚愕の事実が淡々と述べられていた。短いが、それは先生の私に対する最後の好意であったに違いない。先生が使命を果たさずに、命を絶ってしまったのは、それをするに忍びなかったに違いないからである。
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ヴィヴァルディ・悪魔先生・父に似た人。
ヴィヴァルディに関する小説を書こうとしている。タイトルは『こころ』。その一章「先生と私」。私はピエタ修道院の前に捨てられていた。母が出奔し、父が貧しかったためである。もの心がついたときには、片目であることを知った。でも、赤毛のディヴェルヴァ先生に出会い、音楽の勉強を始めたのである。
第二章「先生の思い出」。(「両親と私」じゃない。)この章では、先生が私のために作ってくれた「ファゴット協奏曲」ホ短調(現在のRV484)について書こう。また、後世になって復活をしたいきさつ。つまり、ヴァイオリン協奏曲二曲があっただけなのに、「四季」を始めとして次々と出てきた再発見の予想を当時からの思い出として綴る。
第三章「先生の遺書」。そこには、短い言葉で驚愕の事実が淡々と述べられていた。先生が教会のミサも勤められないほどの虚弱体質であったけれど、なぜ多くの作曲ができたのか。そのことに関しての秘密(悪魔に魂を売ったという)が、簡単に書かれていたのである。
ヴィヴァルディに関する小説を書こうとしている。タイトルは『こころ』。その一章「先生と私」。私はピエタ修道院の前に捨てられていた。母が出奔し、父が貧しかったためである。もの心がついたときには、片目であることを知った。でも、赤毛のディヴェルヴァ先生に出会い、音楽の勉強を始めたのである。
第二章「先生の思い出」。(「両親と私」じゃない。)この章では、先生が私のために作ってくれた「ファゴット協奏曲」ホ短調(現在のRV484)について書こう。また、後世になって復活をしたいきさつ。つまり、ヴァイオリン協奏曲二曲があっただけなのに、「四季」を始めとして次々と出てきた再発見の予想を当時からの思い出として綴る。
第三章「先生の遺書」。そこには、短い言葉で驚愕の事実が淡々と述べられていた。先生が教会のミサも勤められないほどの虚弱体質であったけれど、なぜ多くの作曲ができたのか。そのことに関しての秘密(悪魔に魂を売ったという)が、簡単に書かれていたのである。
すぐ疲れちゃう身体(からだ)なり、老化は進む。
だいぶ前に、「すぐ疲れちゃう体質に、いつしかなりぬ。」という新句(十九音)を作った。しかし最近になって、その時点よりも状態が明らかに進んだということがわかったのである。
老いてくると、身体(からだ)へのチャージが効かなくなるみたいだ。それは、自動車のバッテリーなどと同じ。古くなったものは、いくら充電をしてもすぐにあがってしまう。なぜならば、容量が減って多くのエネルギーを蓄えられない。そこで、すぐにアウトになっちゃう。
そんなことを考えると、老化を少しでも遅らせるライフスタイルを考えなければならない。そして、何とか老化を最小限にくいとどめたい。でも、何となく新しくしたほうが手っ取り早い感じもする。自動車の場合ならば、新車に買い換えてしまうのである。
だいぶ前に、「すぐ疲れちゃう体質に、いつしかなりぬ。」という新句(十九音)を作った。しかし最近になって、その時点よりも状態が明らかに進んだということがわかったのである。
老いてくると、身体(からだ)へのチャージが効かなくなるみたいだ。それは、自動車のバッテリーなどと同じ。古くなったものは、いくら充電をしてもすぐにあがってしまう。なぜならば、容量が減って多くのエネルギーを蓄えられない。そこで、すぐにアウトになっちゃう。
そんなことを考えると、老化を少しでも遅らせるライフスタイルを考えなければならない。そして、何とか老化を最小限にくいとどめたい。でも、何となく新しくしたほうが手っ取り早い感じもする。自動車の場合ならば、新車に買い換えてしまうのである。
大食いの癖なおらずに古希を迎える。
お恥ずかしいことではあるが、大食いの癖は古希になっても、いまだに治っていない。私は、とくにうまいものを食べたいなどとは思わないが、腹いっぱい食べたいという本能には勝てないのである。現代は飽食の時代というように、つい食べ過ぎてしまう。
そのような按配であるから、体重も減らない。たいがい、老人になると身体が小さくなったり、目方が減ったりするのであるが、私はいまだに同じ。体重の変化もない。
しかし、まだ糖尿病になっていないし、血圧も大幅に上がっていない。そんなわけで、大食いの癖は治らない。厳しい食事制限をすればいいのだろうが、意思が弱いので続かない。大食いの癖は、みっともいいものではないので、何とかして直したい。さて、どうしたらよいのであろうか。
お恥ずかしいことではあるが、大食いの癖は古希になっても、いまだに治っていない。私は、とくにうまいものを食べたいなどとは思わないが、腹いっぱい食べたいという本能には勝てないのである。現代は飽食の時代というように、つい食べ過ぎてしまう。
そのような按配であるから、体重も減らない。たいがい、老人になると身体が小さくなったり、目方が減ったりするのであるが、私はいまだに同じ。体重の変化もない。
しかし、まだ糖尿病になっていないし、血圧も大幅に上がっていない。そんなわけで、大食いの癖は治らない。厳しい食事制限をすればいいのだろうが、意思が弱いので続かない。大食いの癖は、みっともいいものではないので、何とかして直したい。さて、どうしたらよいのであろうか。
ありがたや、ありがた山の仏(ほとけ)まします。
インターネットで情報を仕入れ、そこに行ってみると、すでにないことがある。記事が以前のものであって、その後なんらかの事情でなくなっているのだ。
先日、大田区田園調布五丁目3-19の「都天然記念物 秋葉のクロマツ」に行った。そのクロマツは、先のほうが少し無くなってはいたが、ちゃんとある。問題は、その下にあった魚籃観音のこと。そこにあった建物とともに、移転をしてしまったらしい。台座しか残っていなかったのである。
稲城のありがた山は、市街化調性区域になっているので、根こそぎなくなってしまうという懸念をしている人がいる。そこで、行ってみたら手付かずのまま、まだ残っていた。四千柱の仏像や石柱である。そこではウグイスが鳴いて、電車の音も聞こえたが、木漏れ日の中で、何ともありがたいと私は思った。
インターネットで情報を仕入れ、そこに行ってみると、すでにないことがある。記事が以前のものであって、その後なんらかの事情でなくなっているのだ。
先日、大田区田園調布五丁目3-19の「都天然記念物 秋葉のクロマツ」に行った。そのクロマツは、先のほうが少し無くなってはいたが、ちゃんとある。問題は、その下にあった魚籃観音のこと。そこにあった建物とともに、移転をしてしまったらしい。台座しか残っていなかったのである。
稲城のありがた山は、市街化調性区域になっているので、根こそぎなくなってしまうという懸念をしている人がいる。そこで、行ってみたら手付かずのまま、まだ残っていた。四千柱の仏像や石柱である。そこではウグイスが鳴いて、電車の音も聞こえたが、木漏れ日の中で、何ともありがたいと私は思った。
すばらしい白川候の奥方選び。
独身の白川候に「世継ぎのために、どうぞ側室を召し抱えるように」と家臣がお願いをした。すると、白川候はすぐに言った。「それでは、そうしよう。家中で容姿が醜いために縁遠い娘がいるであろう。その女を側室にしよう。」
白川候の屋敷に、医師が行ったときのことだ。木綿の着物を着たびっこの醜い婦人が居間まで案内をした。医師は取り次ぎの端女(はしため=召使い)だと思って、挨拶もしなかった。しかし、その婦人が白川候の婦人であったと後で知って驚いた。
「足(たる)を知る生き方」をした神沢杜口(かんざわ とこう)の『翁草』には、感激をするような話が多い。「高瀬舟」なども、そうである。また、神沢杜口は「晩年の活躍」をしたすばらしい人だと思う。「天明の火災」について詳しく調べ、個人的な記録を残したのは、すでに七十九歳のとき。そして、そのような記録を一生にわたって書き残し『翁草』二百巻を残した。
独身の白川候に「世継ぎのために、どうぞ側室を召し抱えるように」と家臣がお願いをした。すると、白川候はすぐに言った。「それでは、そうしよう。家中で容姿が醜いために縁遠い娘がいるであろう。その女を側室にしよう。」
白川候の屋敷に、医師が行ったときのことだ。木綿の着物を着たびっこの醜い婦人が居間まで案内をした。医師は取り次ぎの端女(はしため=召使い)だと思って、挨拶もしなかった。しかし、その婦人が白川候の婦人であったと後で知って驚いた。
「足(たる)を知る生き方」をした神沢杜口(かんざわ とこう)の『翁草』には、感激をするような話が多い。「高瀬舟」なども、そうである。また、神沢杜口は「晩年の活躍」をしたすばらしい人だと思う。「天明の火災」について詳しく調べ、個人的な記録を残したのは、すでに七十九歳のとき。そして、そのような記録を一生にわたって書き残し『翁草』二百巻を残した。
デカローグ、犯すべからず死後の安心。
モーセの十戒(じっかい)もそうであるが、私がここで大げさに言うデカローグ(Decalogue)とは仏語で、沙弥(しゃみ)や沙弥尼が守るべき十か条の戒律のこと。
それらは、まず五戒。つまり、殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・飲酒。そして、さらに次の五つだ。塗飾香蔓(としょくこうまん)・歌舞観聴・坐高広大牀・非時食・蓄金銀宝。
これでは、沙弥や沙弥尼は大変であったと思う。この厳しいデカローグは、もしかしたら誰もが、死後に裁かれるときのデータとして記録・保存されているのではないか。そして、閻魔大王ではなくて自分自身が一つ一つについて、厳しく反省を求められ、評価を迫られるのではないだろうか。
モーセの十戒(じっかい)もそうであるが、私がここで大げさに言うデカローグ(Decalogue)とは仏語で、沙弥(しゃみ)や沙弥尼が守るべき十か条の戒律のこと。
それらは、まず五戒。つまり、殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・飲酒。そして、さらに次の五つだ。塗飾香蔓(としょくこうまん)・歌舞観聴・坐高広大牀・非時食・蓄金銀宝。
これでは、沙弥や沙弥尼は大変であったと思う。この厳しいデカローグは、もしかしたら誰もが、死後に裁かれるときのデータとして記録・保存されているのではないか。そして、閻魔大王ではなくて自分自身が一つ一つについて、厳しく反省を求められ、評価を迫られるのではないだろうか。