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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「リーダース大事エスト」は、いったい何か?


「リーダース」とは、「指導者の」という意味。「指導者」というと、ちょっと大げさですが、私たちのグループのチューター(講師)が、皆さんに『回想創造法』や『自己福音書』のアドバイスをするのです。もしかしたら、「リーダーズ」としたほうがよいのかもしれません。

「大事」とは、その内容が私たちにとって、『回想創造法』や『自己福音書』を進めていく上で、非常に大切だと言う意味です。なぜならば、それらの技法は簡単なことを積み上げて、次第に次元を高めていこうとするからです。

そして、「エスト」とは「絵・映像」、「ストーリ・公演」、「トーン・音楽」などの分野から与えられる「心身の総合トレーニング」のことです。つまり、全体としては「私たちにとって大事な心身に関係があるサマリー」という意味になります。
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学ぶこと、師の無学から多くありけり。


渡邊師のお話を聞いていると、学ぶことが多い。そのカテゴリーは、主に仏教関係と健康について。仏教については、私も学生時代から自分なりに学んでいるので、かなり詳しい知識をもっている。しかし、未だに師のように無学とは言えないだろう。

魚籃観音について詳しい説明をいただいたのは、渡邊師が最初。今までに私の知人は、それを誰も知らなかったからです。三十三観音の一つで、手に魚篭をもっていること。そして、その中には鯉が入っていることなど。しかし、「陝右の故事」については、もしかしたらご存知なかったかもしれない。

健康については、渡邊師はご自分自身が当事者になられたので、お詳しいのではないだろうか。食べ物などに関しては、私も大いにご教示いただいた。しかしやはり、私はまだまだ仏教について無学ではない。もしかしたら、漆桶(しっつう)そのものか?
還暦を過ぎて、古希には衰え激し。


還暦は、とっくに過ぎた。そして、古希を迎えた。さらに、それから。気付いてみると身体の衰えが激しい。ちょっと何かすると、すぐに疲れてしまう。気力がない。そして、身体の節々が痛む。「古来稀」であるから、仕方のないことかもしれない。

なるべく気持だけは、若く保つ工夫をしてみた。そのために、自己福音書や回想創造法などを試みた。しかし、気持だけが若くても、身体の衰えは現実である。だから、いきおい活動の範囲が狭まってしまう。かつて、旅行などは何でもなかった。しかし、最近になって遠くへ行くこと自体に自信がない。

体調が崩れやすいということと、疲労の激しさが、遠出をする自信をなくしてしまう。間もなく、死出の旅に出かけなくてはならないのに、困ったことである。
楽しみは、道を歩いて小さな発見。


晴れた日は、プチさん(プティ散策)をする。あまり遠くへは行かないが、それでも起点までは、電車やバスで行くことが多い。そして、一キロメートルくらい歩いてみる。すると、小さな発見があって楽しい。

街角でも、田舎道でも、よく見ると面白い。むろん、見慣れたところでも、別な観点から見ると、新しい発見があって驚くことがある。そして、その驚き自体とともに、いままでそれに気付かなかったことに、改めて驚く次第。

公園の中や寺院の境内でも、ゆっくりとくつろげる。公園で噴水のあるところでは、水の動きを見ていると飽きない。また、神社仏閣では古くからの名残を発見することがある。そんなときは、メイン道に戻るまでしばらくサブルーチンのような感じで、一連の楽しい須臾(しゅゆ)が実現する。
糖尿や高血圧は、自分が悪い。


糖尿病や高血圧症になるのは、自分が愚かであることの結果、そして自分の責任である。また、長い期間をかけて少しずつ病状を悪化させたので、容易にはなおらない。最近は優れた薬があるようだが、それもで決して副作用がないとは言えない。

したがって、自分の責任で食生活と生活習慣とを見直して、末期状態になる前に、少しずつ治していかざるをえない。『孫子』ではないが、病気の性格をよく知っていないと、対応がわからず手の打ちようがない。

確かに、自分の長い不注意でなったのであるが、知らなかったことがかなり多かったので、当然の結果かもしれない。私は、ふとなぜか「無知なる故に、過ちを犯しました」と弁解する亡者に対して、閻魔大王が「この前のときも、お前は同じことを言った」と叱っている地獄絵を思い出した。
フンメルの協奏曲を何度も聴いた。


ピアノ協奏曲第二番(作品85)イ短調である。実に堂々としていて、なおかつ伸びやかなのである。あまり知られていないようであるが、私はCDをもっているので、雨の日などにはよく聴く。終楽章ロンドなどは、簡単な旋律だが、心が洗われたような気持になる。

また、フンメルのピアノソナタも聴くのである。これも、フレッシュで何となく初々(ういうい)しい。よく聴くのは、作品13と作品20と作品81とである。もしかしたら、埋もれていたりしてシリーズ番号がないのかもしれない。

私はピアノ協奏曲とピアノソナタのCDをもっていることを幸福に思う。他にもフンメルの手持ちのCDは、トランペット協奏曲と宗教音楽とがある。しかし、最近はYouTubeで探したりする楽しみが増えた。それも、雨が降って部屋に閉じ込められたようなときに。
ニコニコがわからないので、YouTubeだけ。


動画を見れる大手サイトには、現在のところYouTubeとニコニコ動画がある。ニコニコ動画は、やってみたものの仕組みや方法がわからない。それでも、登録だけはしてある。なぜならば、登録をしていないと他人の動画も見れないからである。

YouTubeも、やってみるとなかなか難しい。それでも、世界的に流行しているらしいから、何とか続けてみた。しかし、これもなかなか私の手におえるものではないらしい。

そんなわけで、自分自身が動画作品を作って発表をするというような気力が出てこない。それでも、デジカメで撮ったムービーなどの保存場所として使うのに、もってこいの場所かもしれない。あまり作品を見てもらおうなどと意気込まないほうがよいであろう。少なくとも、私の場合は。
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