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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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われわれは、すでに観察・管理されてる。


ふつう日々の生活は、自分の意思でしていると思う。しかし、そうであろうか。もしかしたら、われわれは何者かに観察されていて、われわれの生活までを管理されているのかもしれない。そんなことが、何となく感じられるのだ。

つまり、飼われている現実ではあるが、それは放し飼いの状態であるので、自覚しにくい。そんなことは、考えられないか。

多くの人間が、地球上に存在する。そして、互いに勝手気ままに振舞う。その結果、世界のあちこちで戦争や紛争が生じる。そんな現象をマクロ的に見ると、何となく放牧場の中のトラブルとも似ているのではないか。大きな立場の観察者がいても、それに気付かぬまま日々振舞うのである。自分の置かれている場所を理解できないために、……。
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ダンマパダ=真理の言葉、つくづく思う。


かつて、中村元の訳で文庫本を読んだ。そのときも感激をしたのだが、このYouTube版の朗読も素晴らしい。一章から二十六章まで、二十七巻に分かれていて、章と巻が対応しているのだが、最後の二十六章だけが二巻にまたがっている。

初期仏典ではあるが、なかなか鋭い見方をしている。確かに、真理の言葉である。「怨みをもって、怨みを反せない」という言葉は、かつてスリランカ国が日本に対する戦争賠償を放棄したときにあげた言葉である。一国の態度としてはインドの判決判断とともに、素晴らしいことではないだろうか。

全体を聞くのは、ちょっと時間がかかるので第一巻から始めて、少しずつ聞いていくのがよいだろう。落ち着きのある朗読で、とても好感がもてる内容である。
衰えは、食べる楽しみ失いてより。


大食いの私が最近になって、かなり小食になった。何となく食べたくないときがある。また、あまり体調が優れなくて、多くを食べられない。

そんな状態に身体が変化していく間に、かなり衰えも進んだような気がする。つまり、衰えたために食べる楽しみがなくなったのか、食べる楽しみがなくなって衰えたのかはわからないが、その二つが同時にやってきたのではないだろうか。

そもそも食べるというのは、ふつう考えないが、かなりの重労働なのである。だから、疲れ果てたときや疲労困憊したときは、食べる元気さえもなくなってしまう。また、食べるのが億劫なばかりか、食事の支度や後の皿洗いなどが面倒になる。そこで、外食してしまったりすることも多い。それでもまだ、食堂に出かける元気は、かろうじて残っているのだ。
一生に使い切れない物を持つのは?


最初は、「一生に使い切れない物を持つ馬鹿」としようと考えた。しかし、必ずしもそうではないし、価値観にはかなり個人差があるから、決め付けるわけにはいかない。私は、「一生に使い切れない物を持つ」のは、愚かな極みだと、つくづく思う。新約聖書にも、豊作で倉を建てる人の例え話があった。

もっとも、あまり経済的に豊かでない私の身の回りには、物が有り余っているわけではない。私が、一生使いきれないというか、直しきれない原稿をもっていることについて、自嘲しているのだ。

手持ちの原稿には、ベストセラーになるようなテーマや少なくともフレッシュなモチーフが数多くある。しかし、時間がなくていまだに仕上がらない。つまり、使い切れない素材なのだ。まったく、考えてみると、私自身「何のために何をしているか」がわからない。新約聖書の話と同じで、お恥ずかしい限り。
長くても、せいぜい一分、それが限界。


二コマまんが形式で、「ハニワくん」という作品を計画中である。長い眠りから覚めて、現代社会にやってきたハニワくんが、いろいろなことを体験する。そして、現代の矛盾点などを指摘する。そんなストーリではあるが、その構成。それが問題である。

一回を一分以下でYouTubeにまとめてみたい。つまり、一コマが30秒以内。そんなことを考えている。

ダラダラと説明をすると、長くなって飽きられてしまう。そこで、舌足らずにならない程度に短くしてしまう。一回分、つまり二コマで言い切れないことは、別の回に続くようにする。必ずしも次回でなくてもよい。そんな考えで、何とか始めたいと思うのだが、………
カンパネラ、ピアノの指が素早く動く。


リストの「ラ・カンパネラ」である。超絶技巧などと言われて、演奏が難しい曲らしい。それでも指を見ていると、素晴らしい動きである。若い女性ピアニストであるから、左右交互の指の動きがなまめかしくさえも見える。

あるときは、腕がクロスしていたりもする。何とも達者であると感心してしまう。これだけ弾けるようになるには、ものすごい練習が必要ではないかとも思う。

そこで、練習をしないでも何とか弾ける工夫をしてみた。やはりパガニーニのヴァイオリン協奏曲第二番第三楽章「Rondo a la clochette La Campanella」である。これをバイエルを卒業したばかりの小さい指でも弾けるように編曲をしたのである。改めて聞いてみると、何ともお恥ずかしい次第。
パガニーニ、ギャラント・タンゴ、コンチェルト四。


久々に、パガニーニ(1782~1840)のヴァイオリン協奏曲第四番を聞いた。初めて聞いたのは、五十年くらい前だったろうか、たまたま楽譜が発見され、アルツール=グルミューが弾いた初演のレコード。

そのときの興奮は今でも鮮やか。生まれて初めて聞くパターンの協奏曲で、まさしくギャラント・スタイルだ。そして、クラシック形式のタンゴとでも言えるのではないかと思った。その後、そのレコードを何回も聞いた。そして、最近はYouTubeで聞く。

一楽章。アレグロ・マエストーソ。冒頭のテユッテイから素晴らしい。後のカデンツァは驚嘆だ。二楽章。アダージオ・フィビレ・コン・センチメント。三楽章。ロンド・ギャラント:アンダンチーノ・ガイオ。最後のラッパで開始するトリオは、予想外。でも、フラジオで奏する部分やヴァイオリンが伴奏コードを受けもつフレーズがあり、ロンドに帰って終わる。
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