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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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観音は、すでに身近に数柱(すうはしら)あり。


いったい、どこにあるのだと問われそう。それは、ホームページの中。私が、すでに「プチさん駅周辺シリーズ」で経巡(へめぐ)った数千の寺院で撮影した写真の中である。後で見直して、かなりの仏・観音像があることに気付いた。忘れてしまっていたのである。そこで、それらを改めて見直すことにした。

私は、『孝経』の注釈を書いた楊黼(ようふ)のことを思い出す。楊黼は明代の人で、仏典を好み隠棲をして、仕えなかった。その楊黼が、両親に別れを告げて、菩薩に会いに出かける。その途中、僧に「菩薩に会いに行くよりも、仏に会ったほうがよい」と言われる。

「仏はどこにおられるか?」と聞くと、「家に帰ったときに、毛布をかぶり、靴を逆に履いた人が迎えてくれる。その人が、仏じゃ。」と答える。言われたとおり家に戻ると、もう真夜中だった。母親は大急ぎで出てきた。毛布をひっかけ、靴も逆に履いていた。
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カイコウズ、初夏の新芽のすさまじきかな。


聖蹟桜ヶ丘あいおい証券のカイコウズ。冬には巻き藁をして、大事にされていた。しかし、春先に藁を取ってみると、幹まで穴があいている。とても、新芽が芽吹くとは思えないほどであった。しかし、五月も終わりになると青々とした新芽でおおわれ、ものすごい勢いである。

この分で行くと、梅雨明けのころには紅い花を満開に咲かせるでしょう。つくづくと生命力の強さに驚かされる。また、四季のうつろいに不思議さを知る。

カイコウズ(海紅豆)は、アメリカデイゴとも言って、マメ科の常緑高木である。デイゴの一種で、ブラジル原産。江戸末期に渡来した。6~8月頃、枝先の長い花序に深紅色の花をつける。しかし、他にもマメ科の高木で、インド・マレー半島・中国南部に分布するものもある。これは種子が堅く、深紅色で光沢がある。したがって、装飾品になる。ナンバンアカアズキともいう。

わからないこと多くあり、そのまま終わる。


科学万能の時代という。本当に、そうであろうか。確かに、分子化学が進み、遺伝子工学によって人間の構造もわかってきただろう。しかし、ヒトに関する仕組みがわかっても、なぜ自分がヒトであるのかとか、死んだらどうなるのかなどは、さっぱりわからない。

そんなことは、よくある。例えば「月の錯覚」などは、いまだに未解決のまま。月や太陽が、なぜ地平線で大きく見えるかについて、「光の屈折説」「瞳孔・水晶体説」「比較・対比説」「地平視角説」「天空形状説」などがあり、近年になっても研究が次々と発表されているという。

私には、わからないことが多く残って、このままでは死にきれない気がする。つまり、心配のまま死んでしまうと、そのままその問題に直面するのではないかという恐れがあるからだ。ソクラテスの言葉ではないが、「わかっていないということが、わかっていない」のであろう。
朱泙漫(しゅひょうまん)、愚かなプラン、具現性なく。


私は今日までずっと、何となく意味のない技術を学んできたような気がする。それらが、いっこうに役には立たないからである。例えば、『荘子』雑篇にある「列禦寇篇第三十二」にある話と似ている。

朱泙漫は、支離益(しりえき)から「龍を殺す方法」を学ぶために、全財産を使い果たした。しかし、龍はどこにもいないので、せっかくの技術は何の役にも立たないままで終わってしまった。

この支離益とは別な人だが、支離疏(しりそ)が有名。私は、支離疏と哀駘它(あいたいだ)ということで覚えている。ともに醜男(ぶおとこ)だが、不思議な魅力をもっている。その詳細は、青空のホームページ「文学エクジビション」にある「お便り5……配信メモ5(2005年08月から2005年09月分)」の「現在の一瞬(3/3)」にあります。
ガン・ヒマン、新しいこと、わかり始めた。


私は学者でもないし、医者でもない。しかし、「糖尿病と高血圧症」の研究に続いて、「ガンとヒマン」の研究をしている。研究と言っても、学界などに発表するものではないし、学問的な裏づけを厳密に必要とするものでもない。

ただ、私と妻、そして親しい方々が糖尿病・高血圧症・ガン・ヒマンから逃れるために、そんな研究を続けている。そして、「糖尿病と高血圧症」については、何とか解決。さらに「ガン」については、初期のものであればOKらしい方法を発見。それを実際にテストしている段階である。おそらく、ある程度の結論が今年中には出るでしょう。

問題は、「ヒマン」である。肥満と書くと、そこに人類の長い歴史が物語られるようである。今日のような時代の生活は、いまだかつて誰も経験をしなかったのではないだろうか。王様といえども、昔の環境はもっと悪かったと思う。
常識は『両論』に似て、逆のことあり。


仮に『両論』(ディッソイ・ロゴイ)と呼ばれる本があるが、著者も正式な書名も不明である。ソクラテスが晩年の時代ごろと思われるが、次のような文章が残っている。

「スパルタでは少女が下着を着ないで歩くのを美しいと見るが、イオニアではみっともないことと考える」「マケドニアでは婚前前の娘は男と交わってもよいが、ギリシアでは許されない」「マッサゲダイ人は親の死体を食べて子の腹へ葬るのを立派な弔いとするが、ギリシアでは恥ずべきことで罪になる」。

「情けは人のためならず」というのは、「その人のためにならないから、情けをかけてはいけない」などと言う。誰かの小説に、将軍が堀の上にある自分の銅像を倒して池へ落とそうとしていたら、老婆に叱られる話があった。
菜食は、肉食よりも優れているか?


私も、外では牛丼を食べたり、焼き鳥屋で飲んだりする。しかし、原則的にはベジタリアンである。したがって、家の台所には肉や魚の調理器具がない。むろん、電子レンジも置いてありません。

『ベルツの日記』には、ベルツが人力車に乗って日光に行ったことが書かれています。彼は、粗末な食事しか取っていない車夫のスタミナに驚いて、肉を食べさせたらもっと力が出ると考えました。そこで、車夫に肉食をさせたのですが、どうしたことか急に力がなくなってしまいました。

菜食とか肉食とかは、出す力には関係がないのでしょう。考えてみればゴリラも菜食ですし、初代目ターザン俳優のワイズ=ミュラーもベジタリアンだったそうです。メルボルン・オリンピック水泳自由形の金メダリストのマレー=ローズも菜食ですし、プロ・レスリングのキラー=コワルスキーもそうでした。
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