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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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無駄なもの、使わないもの、意外に多い。


身の回りにあるものを調べてみると、意外にも使わないものが多かったり、無駄なものがかなりあることを知る。若いころはエネルギッシュだったので、多くの品物も有効に活用できた。しかし、老いてくると持物のほうに、反対に翻弄されてしまうことになる。

あまり高度で複雑な品物は、扱いきれない。自動車やパソコンなども、そうである。そんなわけで、自動車はやめてしまった。パソコンはDELLのいちばん簡単なもの。運手免許は大型と自動二輪をもっているのだが、実際にはここ数年運転をしたことがない。ただ、免許証は身分証明書としても使えるので、常に携行している。

あまりこだわりたくないが、最近になって私も「吾唯足るを知る」ということがわかってきた。「足るを知る」などという立派なことではなく、「足らざるを知らない」という、どちらかというと消極的で、無知に近いことであろうか。
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親鸞と橘嘉智子、死にいさぎよし。


親鸞(1173~1262)は、鎌倉時代初期の僧で、浄土真宗の開祖。比叡山で天台宗などを学んで、二十九歳のときに法然と出合った。法然に師事して、念仏他力門になる。越後に流されて、恵信尼と結婚。善鸞と覚信尼を生む。その後、許されて常陸・信濃・下野(しもつけ)などで、教化(きょうけ)活動。浄土真宗を開き、阿弥陀による万人救済を説く。『教行信証』『愚禿鈔』などを著した。『歎異抄』は弟子唯円の著。「見真大師」とも言う。

橘嘉智子(786~850)は、嵯峨天皇の皇后。仏法への信仰が非常にあつく、京都嵯峨に檀林寺を建てた。また、私学として学館院を設立した。檀林皇后と呼ばれる。

なぜお二人が、死に関してはいさぎがよかったのかというと、親鸞は「自分が死んだら、死体を加茂川に流して、魚の餌にしなさい」、段林皇后は「死体は裏庭に放り出し、犬の餌にしなさい」と書き残しているからである。実際には、お二人とも周りの人たちがそうしなかった。
おぼろげな記憶を誰か教えてほしい。


かつて本で読んだが、何という題名か忘れてしまった。もう一度、その箇所を見たいと思うが、インターネットでも探しきれるものではない。そんなわけで、どなたかご存知であれば、どうぞご教示をしてほしい。

中国の話だったと思う。小舟に乗ってすれ違うのであるが、片一方には男が二人。向うは、おそらく若い娘とその母親だろう。娘の角になった髪型を男の一人が、笑って冷やかす。すると、母親は「大の男が名もなさずに、すれ違う女の髪型を論じるなどとは、何とも情けない」とあざける。

もう一つ。若い男が午前中ずっと、せっせと薪(まき)を割る。張り込んでいた探偵は、犯人がいったい巻を割ってどうするのかといぶかる。その家には、暖房設備があったから薪は不要なのに。そのストーリは、確か短編怪奇小説アンソロジーにあった内容。
よく見ると、それぞれの顔、異なりており。


ミスドで一時間くらい、コーヒーを飲みながら外を見ている。なかなか面白い。道行く人の有様である。しかし、ここで言うのは人間ではなく、仏像のことだ。寺院に参拝し、写真を撮ってくる。帰ってからお顔を拝見すると、それぞれに異なっていて尊い限りである。

仏像と言っても、単に仏師が作った作品にすぎない。いかに芸術的であり、信仰の対象になっていても、所詮それは神などの超自然の作品でないことは事実であろう。

それでも、仏師が心をこめて作った作品には、それぞれに感情が出ている。あるいは、自分自身の娘が死んで、その面影を観音の顔に残したかったのかもしれない。そんなお顔を、拝見することがある。パターン化されていないユニークなお顔やお姿もある。よく見ると、すべてが異なっているのである。
楽しみは、どこに行くかを考えるとき。


晴れて体調が快適な日の朝は、「さて今日は、どこに行こうか」などと考える。そんなときは、とても楽しい。行きたいところは、たくさんある。パソコンをオンして、グーグルやヤフーの地図を見て探す。そして、これから行こうとしているところの下調べなどもする。

目的が決まっていて、行き先もわかる場合とそうでない場合がある。例えば、「長円寺に魚籃観音のお姿を見に行く」。そんなときは、その周辺のことなどあらかじめ調べておいて、それから行ってみるんだ。

目的はあるが、どこへ行ってよいかわからないときもある。例えば、「都内の三十三観音を新たに探す」。そのようなときは、まずどこへ行ったらよいかをインターネットであれこれと調べる。それは、なかなか大変な作業であるが、また一つの楽しみ。つまり、新しい発見が期待できるからである。
行って見て、新たな発見すること多い。


何となく知っているところでも、実際に行ってよく見ると、それまでに思ってもいなかったような発見をすることがある。従来は、ぼんやりとしか見ておらず気付かなかったことにも、はっとして息を飲むような発見があったりするので何とも不思議。

「聞くと見るとは大違い」などという諺もあるが、まったくそのとおりの場合も、しばしばある。聞いていたよりも、現実がむしろ悪いほうになっていて大違いだと知ることが多い。

また「聞いて極楽、見て地獄」とは、聞いていたことと実際が大きく違っていることを言います。それこそ、現実が悪いほうになっている場合。そんなことが、しばしばあるので実際に自分自身で行って見て、確認をする必要があるのでしょう。
何故になつかしくあり、初めての場所?


初めてのことなのに、何となくなつかしく感じることがある。あるいは、何となくどころか、強烈な懐かしさが心に迫ってくることさえある。私は、寺院の境内や仏像のお顔を見たときに、そんな気がすることが多い。

『徒然草』第七十一段の後半に、「またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひ出(い)でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。」というくだりがある。

「以前これとそっくり同じことがあったなぁ」と思うのであるが、それがいつどこだったかを思い出せないことが多い。既視感(デジャブ)というのであろうか。フランスの超心理学者エミール=ブワラック (Émile Boirac)が1917年に執筆した「超心理学の将来」(L'Avenir des sciences psychiques)の中で提唱した言葉。
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