忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[191]  [192]  [193]  [194]  [195]  [196]  [197]  [198]  [199]  [200]  [201
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

キレやすい性格になる食べ物は何?


脳に抗ストレス物質を作るためには、少量ではあるがどうしても亜鉛が必要です。しかし、インスタント食品に多く含まれているフィチン酸は、亜鉛と結合する分子構造をもつために、長く食べ続けると、亜鉛が体内に吸収されにくくなってしまいます。

フィチン酸は、亜鉛のみならずミネラルが著しく少ない食事において、大量に摂取するとミネラルの吸収を阻害するので、必須ミネラルの摂取量が著しく低い発展途上国の子供のには、好ましくないと言われています。

牡蠣(かき)などの亜鉛を多く含む食べ物を摂っても、体内にストレスに対抗する物質が生産されずに、少しずつ精神的な疲れがでて、やがて突発的に怒りを発するようになったり、さらには暴力行為に及ぶのです。
PR
久々に、おいしい焼き芋、きんとんの味。


妻が働いている会社の秘書さんから、大きな焼き芋をいただいた。おそらく、サツマイモを直火(じかび)の灰の中で、ゆっくり焼いたのではないだろうか。もしかしたら、お母上が時間をかけて焼かれたのではないかと思う。焦(こ)げてしまわないようにする手数が、大変だったでしょう。

食べてみたら中まで均一によく焼けていて、クリームというか、きんとん状になっている。とてもおいしい。ちょっと、栗きんとんの味がする。このような味のおいしいサツマイモを食べたことは、最近になってあまりない。

きんとんは「金団」とも書いて、 サツマイモなどで作った餡(あん)に栗などを混ぜてつくるが、いただいた焼き芋はそのままで栗きんとんの味がしたから、驚いてしまった。
老人は、あつかましくて、くさいからいや。


老人は、のろのろしていてあつかましい人が多い。そして、何となく臭(くさ)い臭(にお)いのする人がいる。だから、「いやだなぁ~」などと考えていたのが、つい数年前。それが、どうしたことか気付いたときには、自分自身が老人になっていた。そこで、何とかしなければならないと切実に思った次第。

まず、もたもたしないように心がける。バスの乗り降りなども前の人に続き、途切れないように努力する。シルバーパスなので、現金の支払いがないからありがたい。食堂などでは小銭を用意して、もたつかないようにする。

また、口が臭くなってはいけないので、口腔内の清潔を心がける。歯周病になるので、二週間に一度は歯科医に通う。そんなことをしているのだが。
本棚の奥に忘れた、なつかしい本。


本との出合いも、人との出会いに何となく似ている。しばらく親しく付き合った人が、病気や引越しのために、会わなくなったりする。そして、そのまま久しくご無沙汰になってしまう。

私の本棚は、ミリオンラックというのが五つある。しかし、すべての本が並べきれないので、小型の本は二段にしてある。二段というのは、並べた前にもう一列を並べる。つまり、二倍の本を格納するため。

そうすると、奥のほうにある本は、背に書いてあるタイトルが見えない。前の列の本をどかさないと、よくわからないのである。だいたいは覚えているが、中には忘れてしまったものもある。そんな忘れていたなつかしい本が出てくることがある。そして、かつて親しかった人と久々に会うような気持ちになる。
源信の地獄の記述、恐ろしきかな。


源信の『往生要集』には、実に詳しく地獄の光景が描かれている。極楽ではなく地獄から書かれているので、読み始めると同時にビビッてしまう。これでもか、これでもかというように、地獄の様子が続いているのだ。

つくづくと死後の世界が恐ろしくなってしまう。しかし、その記述は源信によるまったくの創作ではない。源信は九百冊以上の文献から抽出しているので、中には真実も多く含まれているのであろう。

しかし、芥川龍之介は『邪宗門』の中で、あまり源信を高く評価していないように思う。もっとも、未完の形でふっ切れているから、もしかしたら違うかもしれない。また、源信が『往生要集』を中国に送ったというが、中国内での反応はまったく残っていない。国内に止まらず外国にも理解者を求めた源信の意気込みも、空しく終わってしまったようだ。
源信と日蓮の言う「地獄と極楽」。


源信(卜部姓、恵心僧都、横川僧都 942~1017)は、平安中期の天台宗の僧。比叡山で学び、横川(よかわ)の恵心院で著述に専念した。『往生要集』を著して浄土教の基礎を築いた。九百冊以上の文献から引用をして、最初に地獄の描写が生々しく書かれている。

日蓮(立正大師 1222~1282)は、鎌倉時代の僧で日蓮宗の開祖。出家してから比叡山などで修学。建長五年(1253)「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、法華経信仰を説く。他宗を攻撃したため圧迫を受け、「立正安国論」の筆禍で伊豆に流された。許されてからも他宗への攻撃は激しく、今度は佐渡に。赦免後は、身延山に隠栖した。「地獄も極楽も、実は私たちの身体の中にある」と書き残している。

いずれの記述も、何となく私には納得できる。
施無畏印、結びし釈迦に似た招き猫。


普明寺大日堂の釈迦如来坐像は、大日如来の脇侍(きょうじ)ではあるが、右手の肱(ひじ)を曲げ、施無畏印(せむいいん)を結んでいる。おだやかな形であるが、施無畏の功徳を示す印相であり、右手五指をそろえて伸ばし、手のひらを前に向けて、肩の辺りに上げるスタイル。

いっぽう、招き猫にもいろいろあろうが、豪徳寺の招き猫はオーソドックスな形だと思う。その招き猫は大小にかかわらず、右手を上げて掌(てのひら)を前、つまり見ている人のほうに向けている。ちょっと握っているような格好ではあるが、猫が施無畏印を結ぶとは考えにくい。たまたま釈迦と同じ格好にしているのであろうか。

いずれにしても、釈迦も招き猫も私にとっては、ありがたい存在である。そんなわけで、大日堂と豪徳寺は、年に一回以上参拝に行くのである。
忍者ブログ [PR]