rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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施無畏印、結びし釈迦に似た招き猫。
普明寺大日堂の釈迦如来坐像は、大日如来の脇侍(きょうじ)ではあるが、右手の肱(ひじ)を曲げ、施無畏印(せむいいん)を結んでいる。おだやかな形であるが、施無畏の功徳を示す印相であり、右手五指をそろえて伸ばし、手のひらを前に向けて、肩の辺りに上げるスタイル。
いっぽう、招き猫にもいろいろあろうが、豪徳寺の招き猫はオーソドックスな形だと思う。その招き猫は大小にかかわらず、右手を上げて掌(てのひら)を前、つまり見ている人のほうに向けている。ちょっと握っているような格好ではあるが、猫が施無畏印を結ぶとは考えにくい。たまたま釈迦と同じ格好にしているのであろうか。
いずれにしても、釈迦も招き猫も私にとっては、ありがたい存在である。そんなわけで、大日堂と豪徳寺は、年に一回以上参拝に行くのである。
普明寺大日堂の釈迦如来坐像は、大日如来の脇侍(きょうじ)ではあるが、右手の肱(ひじ)を曲げ、施無畏印(せむいいん)を結んでいる。おだやかな形であるが、施無畏の功徳を示す印相であり、右手五指をそろえて伸ばし、手のひらを前に向けて、肩の辺りに上げるスタイル。
いっぽう、招き猫にもいろいろあろうが、豪徳寺の招き猫はオーソドックスな形だと思う。その招き猫は大小にかかわらず、右手を上げて掌(てのひら)を前、つまり見ている人のほうに向けている。ちょっと握っているような格好ではあるが、猫が施無畏印を結ぶとは考えにくい。たまたま釈迦と同じ格好にしているのであろうか。
いずれにしても、釈迦も招き猫も私にとっては、ありがたい存在である。そんなわけで、大日堂と豪徳寺は、年に一回以上参拝に行くのである。
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