rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ぼつぼつと自分が死んだ準備をしよう!
人が死ぬと、後にいろいろな作業が残る。死んでしまって、自分にはできないことも多いが、生前に準備をしておくことも大切であろう。
突然に死んでしまって、後はゴミ屋敷が残っただけでは、整理も何もあったものではない。結局は、専門の清掃会社にすべてを廃棄物として処理をするように頼んで、何一つ残らなかった。しかし、片づける費用だけが葬儀代の他に、50万円以上もかかってしまった場合がある。
どこに何があるかが、滅茶苦茶だったのが原因かもしれない。当然のことながら、それらを収容する場所がない。そんな次第で、すべてをゴミとして処分をしてもらった。そして自分の場合は、ぼつぼつと整理を始めて、そんなことがないようにしたいと思う。
人が死ぬと、後にいろいろな作業が残る。死んでしまって、自分にはできないことも多いが、生前に準備をしておくことも大切であろう。
突然に死んでしまって、後はゴミ屋敷が残っただけでは、整理も何もあったものではない。結局は、専門の清掃会社にすべてを廃棄物として処理をするように頼んで、何一つ残らなかった。しかし、片づける費用だけが葬儀代の他に、50万円以上もかかってしまった場合がある。
どこに何があるかが、滅茶苦茶だったのが原因かもしれない。当然のことながら、それらを収容する場所がない。そんな次第で、すべてをゴミとして処分をしてもらった。そして自分の場合は、ぼつぼつと整理を始めて、そんなことがないようにしたいと思う。
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何となく終わりに近い私の人生。
最近になって私の人生も、何となく終わりに近いような気がする。なぜならば、友達が次々とグッドバイをするようになった。
完全にグッドバイする人のほかにも、入院や寝たきりになってしまう人もいる。そして、見舞いに行ったりしても、間もなく記憶が薄れてしまうようだ。なぜならば、目がトロンとして生彩がなくなってしまい、話も満足にできなくなる。
それでは、単に生きているだけのことで、思考などが満足にできない。つまり、しっかりとした脳の機能が保持できなくなって、いわゆる廃人としての状態と言ってもよいかもしれない。私は、そうはなりたくない。どうしたらよいのだろうか。困ったことである。
最近になって私の人生も、何となく終わりに近いような気がする。なぜならば、友達が次々とグッドバイをするようになった。
完全にグッドバイする人のほかにも、入院や寝たきりになってしまう人もいる。そして、見舞いに行ったりしても、間もなく記憶が薄れてしまうようだ。なぜならば、目がトロンとして生彩がなくなってしまい、話も満足にできなくなる。
それでは、単に生きているだけのことで、思考などが満足にできない。つまり、しっかりとした脳の機能が保持できなくなって、いわゆる廃人としての状態と言ってもよいかもしれない。私は、そうはなりたくない。どうしたらよいのだろうか。困ったことである。
何もかも億劫になり、老いは進みぬ。
自分自身の老いが、急速に進んでいることがわかる。古稀を過ぎたのだから、当然のことかもしれない。そしてそれは、今も現実に進んでいる。
私は、老いるのがいやなのではない。老いて、いわゆる耄碌をするのが困るのである。つまり、脳がダメになることが恐ろしい。
また、よいよいやアルツハイマー病、そして寝たきりになったりするのも困る。車椅子でも、活発に行動をしている人がいる。おそらく歩行に困難を生じるので、車椅子を利用するのであろう。しかし、脳に異常をきたしたら、車椅子ではダメだろう。少なくとも、高齢者は自分の脳を正常に保つ具体的な努力や工夫が日々必要であろう。
自分自身の老いが、急速に進んでいることがわかる。古稀を過ぎたのだから、当然のことかもしれない。そしてそれは、今も現実に進んでいる。
私は、老いるのがいやなのではない。老いて、いわゆる耄碌をするのが困るのである。つまり、脳がダメになることが恐ろしい。
また、よいよいやアルツハイマー病、そして寝たきりになったりするのも困る。車椅子でも、活発に行動をしている人がいる。おそらく歩行に困難を生じるので、車椅子を利用するのであろう。しかし、脳に異常をきたしたら、車椅子ではダメだろう。少なくとも、高齢者は自分の脳を正常に保つ具体的な努力や工夫が日々必要であろう。
いろいろと思うことあり、二病息災。
一病息災という。無病息災よりも、一つくらい持病があったほうが、それに注意をするので長生きができるというような意味。しかし、老いてくると一病息災などと言えずに、二病息災になってしまう。そして、ひどいのは三病や四病というのがある。
とにかく、持病などはないほうがよいのは当たり前。しかし加齢によって、病に取り付かれ、なかなか治りにくくなっている。
そこで、二つぐらいは諦めるのである。私の場合は、重度の糖尿病と院内感染をした血液の病気。それらが相まって、ともに治らない。インシュリンの注射でもすれば、何とかなるかもしれないのであるが、まだその必要がないらしいので放置したまま。そのうち糖尿病昏睡によって、救急車のお世話になるかもしれない。
一病息災という。無病息災よりも、一つくらい持病があったほうが、それに注意をするので長生きができるというような意味。しかし、老いてくると一病息災などと言えずに、二病息災になってしまう。そして、ひどいのは三病や四病というのがある。
とにかく、持病などはないほうがよいのは当たり前。しかし加齢によって、病に取り付かれ、なかなか治りにくくなっている。
そこで、二つぐらいは諦めるのである。私の場合は、重度の糖尿病と院内感染をした血液の病気。それらが相まって、ともに治らない。インシュリンの注射でもすれば、何とかなるかもしれないのであるが、まだその必要がないらしいので放置したまま。そのうち糖尿病昏睡によって、救急車のお世話になるかもしれない。
半日も、寝ても疲れが、なぜか取れない。
ふつう、熟睡すると疲れが取れる。しかし半日も寝ていて、疲れが取れないことがある。眠っているのではなく、ただ横になって寝ている状態だからかも知れない。つまり、寝ていても脳が眠れないのである。
そんなときは、うつらうつらとして、かえって疲れがたまってしまうみたい。私は、仕方がないので、次の日にスケジュールがないときは起きてしまう。そして、本を読んだり、パソコンを動かしたりする。
眠りが浅いのは、高齢化のためかもしれない。また、熟睡ができないのは日中の疲労が少ないためかもしれない。とにかく加齢によって、若いときとライフスタイルが、大きく異なってくることが身をもってわかった次第。
ふつう、熟睡すると疲れが取れる。しかし半日も寝ていて、疲れが取れないことがある。眠っているのではなく、ただ横になって寝ている状態だからかも知れない。つまり、寝ていても脳が眠れないのである。
そんなときは、うつらうつらとして、かえって疲れがたまってしまうみたい。私は、仕方がないので、次の日にスケジュールがないときは起きてしまう。そして、本を読んだり、パソコンを動かしたりする。
眠りが浅いのは、高齢化のためかもしれない。また、熟睡ができないのは日中の疲労が少ないためかもしれない。とにかく加齢によって、若いときとライフスタイルが、大きく異なってくることが身をもってわかった次第。
雷のごときショックをたびたび受ける。
最近になって、手の指先などに雷(いかずち)のようなショックを受けることがある。実際に放電をするのであるが、青白い火花が出ることもしばしばある。ビリッと感じるが、とくに痛いわけではない。妻に物を渡すときなども出るが、むしろ相手側が驚いてしまう。
おそらく、自分の体内に蓄電した電気が放電されるためであろう。夏場は起こらないが、冬になって多い。
そこで、アース棒などを用意したのであるが、そこに放電するときにショックがある。そんなわけで、実際に金属などに触れるときは、布切れなどで手を包んですることにしている。かなりの高電位で放電することは、あまり健康には好ましくないと考えたからである。
最近になって、手の指先などに雷(いかずち)のようなショックを受けることがある。実際に放電をするのであるが、青白い火花が出ることもしばしばある。ビリッと感じるが、とくに痛いわけではない。妻に物を渡すときなども出るが、むしろ相手側が驚いてしまう。
おそらく、自分の体内に蓄電した電気が放電されるためであろう。夏場は起こらないが、冬になって多い。
そこで、アース棒などを用意したのであるが、そこに放電するときにショックがある。そんなわけで、実際に金属などに触れるときは、布切れなどで手を包んですることにしている。かなりの高電位で放電することは、あまり健康には好ましくないと考えたからである。
血尿が出ることもあり、飲み物のため?
数ヶ月前から、血尿が出ることがある。まだ、数回だけど、おそらく内臓がやられてしまったためであろう。私は、オシッコをするときに500CCのカップにいったん採るが、見ると赤いことがある。そして、そのようなときはゴマくらいの大きさの血の固まりが一つあることが多い。
つまり、どこかの内蔵がやられて、腎臓から膀胱に運ばれてきたのであろう。あまり気持ちがよいものではないが、観察だけはしっかりとしておく。
原因は、どうやら炭酸飲料の飲み過ぎからきているのではないだろうか? 炭酸飲料を多く飲むと、消化管への刺激が強いために、消化性潰瘍・炎症性腸疾患などを悪化する心配があるからである。
数ヶ月前から、血尿が出ることがある。まだ、数回だけど、おそらく内臓がやられてしまったためであろう。私は、オシッコをするときに500CCのカップにいったん採るが、見ると赤いことがある。そして、そのようなときはゴマくらいの大きさの血の固まりが一つあることが多い。
つまり、どこかの内蔵がやられて、腎臓から膀胱に運ばれてきたのであろう。あまり気持ちがよいものではないが、観察だけはしっかりとしておく。
原因は、どうやら炭酸飲料の飲み過ぎからきているのではないだろうか? 炭酸飲料を多く飲むと、消化管への刺激が強いために、消化性潰瘍・炎症性腸疾患などを悪化する心配があるからである。