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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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健康に日々忘れてはダメ、三不足。


ここのところ体調が何となく悪い。そこで、つらつらと原因を考えてみた。どうやら、三つのものが不足しているらしい。

それは、「寝不足」「運動不足」そして「酢不足」である。昼夜、水分を多量に飲む。そんなために、睡眠中にオシッコに行きたくなる。そして、目が覚める。それが、睡眠不足つまり寝不足の原因。足腰の不調よりも、慢性的な便秘。そのために、バスに乗ったり、トイレのないところへの遠出ができない。運動不足にならざるをえない。

酢不足は、よく考えてみると自宅でも外食でも、酢の物をほとんど食べない。だから、酢が身体に不足をしているみたい。酢が不足すると、理工式健康法フォーラムの「酢」に書かれているようなことになるらしい。これからは、改善してみよう。
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楽しみは、まれに吉野家、ビール飲むとき。


橘曙覧ではないが、私にも楽しみがいくつかある。魚を煮たりはしないが、それでも飲み食いに関するものも多い。

その一つ。腹が減ると、何となくふらふらと吉野家に行く。部屋から五分のところにあるし、百年も続いた老舗(しにせ)であるからだ。

ところが、そこへ行くとたいがいビールを飲む。小瓶(500ml)のサントリー・モルツである。府中工場の見学をして知ったことであるが、富士山系の地下水100パーセントを用いた自然水仕込み、そして原料も多くない。だから安全であって、健康にもよいのではないか。

白血球・ミトコンドリア、何ものなのか?


私たちの身体の中には、白血球やミトコンドリアがいる。そして、それらは私たちの身体の中で、独立した生命体の形をしている。

白血球は、血液中に含まれる有形成分の一つ。その数は、血液1立方ミリメートル当り6000~8000個。赤血球数の500から1000分の1ほど。その種類は豊富で、原形質内に顆粒(かりゅう)をもった顆粒白血球として中性好性・酸好性・、塩基好性白血球があり、無顆粒白血球としてリンパ球・単核細胞がある。それらの働きは生体の防御作用で、侵入した細菌・異物などを貪食(どんしょく)する。白血球は目的の場所まで、アメーバ運動によって到達する。白血球の寿命は顆粒白血球で10日前後、リンパ球の大部分は100~200日、一部は3~4日。

ミトコンドリア(mitochondria)は、すべての真核生物の細胞質中に存在。糸状または顆粒(かりゅう)状の細胞小器官で、内外二重の膜に包まれ、細胞の核とは別にDNA(デオキシリボ核酸)をもっていて、独自に分裂によって増殖。糸粒体。糸状体。コンドリオソームとも言う。

ガンで死ぬ人がいるのは、なぜなのか?


最近の死因の第一位はガン、二位は心筋梗塞、三位は脳卒中(脳梗塞など)であるという。そして、四位以下に肺炎や事故・自殺などが続くが、ガンがダントツに増えているのは事実。

私たちの身体には、毎日5000個くらいのガン細胞が生まれる。しかし、そうかと言って誰もが、致命傷になるわけではない。なぜならば、老衰で死んだ人を調べると、多くの場合ガンが見つかるらしい。

ふつう、自然治癒で治る場合が多い。しかし大きくなってからでは、ダメである。抗がん剤を利用すると、逆に身体の免疫力がゼロになってしまう。玄米を食べたり、笑ったりすること、体温を暖めることで、ガンの進行はいちじるしく遅れるらしい。何となく、特定の組織が利権を頑(かたく)なに守っている構図である。
陝右の人たちの札、はがされており。


2012年(平成24年)5月19日(土曜日)のことである。5月4日(金曜日・祝日)に焚いていただいた妻の護摩。新しいお札(一万円)をいただいたので、古い札を返しに行った。

私は、柱に「陝右(せんゆう)の人たち」の札を貼って、勝五郎前世の墓を見に行った。その間、妻は本堂で渡邊師の説教を聞き、きょうの護摩に参列をしていた。

小一時間して、さて帰るときに山門をくぐった。左の柱に貼った札とともに妻の写真を撮ろうとしたのである。すると、驚いたことに貼ったばかりの札が、剥がれているのである。いったい誰が剥がしたのであろうか。参詣人の一人であろうか、もしかしたら境内を清掃していた大きな図体の僧であろうか。私は、ちょうど前日に散髪をして、頭が僧のようになっていた。そして、ちょうど手水のところから、その僧が見ていた。おそらく、どこかの僧が普段着で門のところで何かをしていると思ったに違いない。
護摩焚きて、こころ清らか、高幡不動。


毎年二回、高幡不動尊で護摩を焚いていただく。私と妻の祈願で、一回に私は三万円、妻は一万円を納める。十年ほど続いている、私たちの年間スケジュール。

いまどき、何とも古くさいことだと言う人もいる。しかし、護摩を焚くことが国家的事業だった時代もある。天皇が主催をしたことも多いらしい。

私も妻も、その雰囲気が好きである。一時間足らずの時間ではあるが、ふつう貫首さんが護摩を焚く。そのバックグラウンドの読経もすばらしい。やがて、参加者は手に香油を塗ってもらい、本陣の不動尊とこんがら童子・せいたか童子の前に行って、親しく参拝できる。何となくこころが清まる儀式である。
イルヘルスでも、生きていく方法がある。


現代社会において、まったくの健康などはないんじゃないだろうか? すでに食べ物や生活習慣によって、かなり体内が汚染されてしまった。化学薬品、つまり防腐剤や界面活性剤などが人体に影響をしているようだ。

「無病息災」からできた語で、「一病息災」という言葉がある。病気をまったくしない健康な人よりも、持病を一つぐらいもっている人のほうが、かえって身体を大切にするので、結果的には長生きをするという意味である。

その一病息災を大事にして、寝たきりやよいよいになって、大小便の世話になることがないように、私は注意をしたいと思う。また、経済よりも命が大切ではあるが、命のために際限なく経済を強いられることがないようにもしたい。
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