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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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私(わたくし)は、かなりしつこい性格なのか?


何でも自分が納得するまで続けてする。他人から見たら、うんざりすることであろう。また、一種の偏執狂ともとられかねない。当たり前のことをしていると考えるのだが、回りから見たら辟易するようなことしているらしい。

人生において何かをするときは、生きている限りは中途半端ではいけないと私(わたし)は思う。死ぬまで続ける覚悟で、途中でやめるようなことは最初からしなければよいのである。

コヘレットの書(伝道の書)第六章には、
<03 百人の子をつくり、また命長く、その齢(よわい)の日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、私は言う、流産の子はその人に勝る(まさる)と。>
また、続く第七章には、
<01 死ぬ日は、生まれる日に勝る。>
とある。
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ふと思う「こにしかめやも」、遊ぶ子を見て。


多摩川の交通公園で遊ぶ子どもを見ていて、なぜかこの言葉を思い出した。『万葉集』巻五にある山上憶良の「子等を思ふ歌一首並びに序」である。

<釈迦如来、金口(こんく)に正に説き給はく、等しく衆生を思ふこと羅ご羅の如しと。又説き給はく、愛は子に過ぐるは無しと。至極の大聖すら尚子を愛(うつく)しむ心あり。況して世間の蒼生(あおいぐさ)、誰か子を愛(お)しまざらめや。
 瓜食(は)めば子等(こども)思ほゆ くり食めば ましてしぬばゆ 何処より来たりしものぞ まなかひに もとな懸りて安寝(やすい)しなさぬ
 銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる寶 子にしかめやも>
   
(釈迦如来がみずから言ったことには、「平等に人間をかわいいと思うことは、我が子のラゴラと同じである。」 そしてまたおっしゃった。「愛は、子供に対するもの以上のものはない。」 極めて優れた大聖人ですら、やはり子供を愛する心がある。まして、世間一般の人々で、誰が子供を愛さないものがあろうか。
 瓜を食べると、子供のことを思う。栗を食べると、なおさら思い偲ばれる。子供の面影は、いったいどこから来たものであろうか。眼前に、その姿がちらついて夜も安らかに眠れない。
 (反歌)銀も黄金も宝玉も何になるであろうか。それらの宝は、子供に及ぶことがあろうか。)
「考える」ということを「考える」謎。


「考える」ということは、いったいどういうことであろうか? 脳が思いを巡らすことであろうが、それはジレンマや葛藤なども含んでいる。あまり考えすぎると気が違ったり、愚かしい結論になったりすることもある。

高等動物の脳、とくにヒトの脳は異常に発達をしているらしい。考えてみると、その脳のために世界が滅びてしまうかもしれない。脳の考えが際限なく恐ろしいことを考えていながら、愚かにも実行をするからである。

クラゲには脳がないという。それでも、エチゼンクラゲは多くの個体が艦隊のような整然とした形で移動をする。いったい、何をどこで考えるのであろうか。
「付:脳の無気味さ」として、改めてまとめてみたい。
ささいなる記憶の部分が、我を苛む(さいなむ)。


ちょっとした思い出や記憶の一部分が、いつまでも残っていて、自分自身を苛んでくることがある。ふだんは、まったく忘れてしまっているようなことが、妙に印象的になっている。

そもそも記憶とは何であろうか。ふつう、自分が過去に体験したことや覚えたことを後になっても忘れないでいることやその内容。しかし、心理学では生物に過去の影響が残ることを言う。つまり、過去の経験を保持して、再生したり認識する機能のこと。

情報処理でも、コンピューターに必要なデータを蓄えておくことを言う。そしてこのブログの名称は「日々記憶の断片」となっているが、それが自分を苛むのである。
大食いの癖直らずに、酒量も増える。


2012年(平成24年)2月28日(火曜日)。朝9時ごろに、吉野家に行って朝食。ハム納豆定食400円に、瓶ビール400円。今までは、これで終わりだ。でも、何となく飲み足りなかったんで追加。冷酒330円と、キムチ90円。そのすべて合計で1220円。

金額は、たいしたことはない。しかし、このパターンになってしまうことを心配する。朝からビール一本と酒一合である。あまりたいした分量ではないが、それでもそれが日常になってしまうことを考えると、好ましくはないだろう。

酒を身体に入れてしまうことは、何となく思考や活動に影響があるんじゃないか。また、アルコホリックの状態で、作業や思考に影響があるのではないかと心配。吉野家は100年続いた店なので、食べ物の健康には問題ないかもしれない。しかし、酒を飲むと言うことはどうであろうか。自分の分別が弱くなってしまったことも、大きな問題であろう。

次々とアップをすれば、「いいね!」次々。


Facebookのことである。「いいね!」ボタンがあって、気に入った記事に押せる。気に入らなくてもできるので、私は記事を見たときに用いることが多い。

何か記事を書くと、100人以上の人々が次々と「いいね!」をするときもある。また、いつまで経っても「いいね!」が付かない場合もある。

そうなると、もはや記事内容ではなく、その人への関心が関係してくるらしい。私の場合、あまり人間的な魅力がないので、数人しか「いいね!」をしてくれない。しかし、それでもいいのである。もっとも、記事を書かなければ、誰も「いいね!」をしないので、というよりかできないので、あまり意味のない記事を次々とアップする人もいるようだ。
蛾の仲間、ヨナクニサンには口がない。


ヨナクニサン(与那国蚕)はヤママユガ科の大形のガ。日本では石垣島・西表島(いりおもてじま)・与那国島に生息。東南アジアの熱帯・亜熱帯には広く分布。前羽の長さは、約12センチメートル。羽は褐色で、前ばねの先端はヘビの頭のような形をしている。

そのヨナクニサンには、口がないのである。つまり、何も食べない。その幼虫はオガタマノキの葉を食べるが、成虫になると何も食べずに死んでいく。

何とも哀れな話とも考えるが、何も食べずに死んでいくというのが、彼らには自然の摂理であるのだろうか。人間の口とは、違うのである。





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