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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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そんなこと、どうでもよいと思いつつする。


人生には、いろいろと煩わしいことがある。
そんなに大げさに言わなくても、日々の生活の中には面倒なことが多い。そして、それが習慣化をしてしまったために、ムダなことをし続ける。何とかならないものかと思いつつも、即座には何ともならない。

つまり、価値観をどこに置くかによって、ムダなことをし続けてしまうようだ。
それではいったい、日々の生活は何のためにあるのだろうか。

エントリピーが増加するのであるから、必然的にすることも増える。
エントロピーは、システムの無秩序さや不規則さの度合を表すので、不可逆変化をするときには必ず増大する。

そんなわけで日々、科学が進み、新製品が出てくる。法律なども、次から次へと制定されて、キリがない。しかし、複雑になればなるほど、ムダも増えてしまう。
何とかならないものか。

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何ともならないのが人生
無駄も無理も生きてゆくうちには必ず伴うものである、無駄無理を省くと、残るものを考えて見ると、目的と所望のものしか残らないのではないか、砂漠に水脈を見つけ、之を上手く利用して生きる棗椰子の群落で生活する村の風景を中東のオーマンにあるらしい、何も無い、砂漠のど真ん中に緑の群落が生まれる事、自体が不思議だ、極く稀に降る雨を大地、奥深く岩盤層に溜め込み、尽きる事なく、排水し灼熱の砂漠に恵みを齎す、神様は何事も無駄にはなさらない。
それに引き換え、我々は遠回りして無理無駄を重ねネジレ国会だの、国民が賛同しない、イラク特措法など強引に通そうとする馬鹿な事をする。

どうも何処かで狂っているのではないか。
tama 2007/12/16(Sun)12:50:57 編集
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