rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ゆるぎなき確信も、また崩れてゆきぬ。
最近になって、かつて学んだ基本的なことに、疑問をもつようになった。科学で証明されたことなどが、ゆるぎない確信であったのだが、何となくそれらも怪しげであることに気付き始めた。もっとも、その科学を科学的証明によって反駁をしたわけではない。
理性というか、本能というか、直感で疑い始めたのである。そもそも、人間の判断などというもの自体が、仮のものでしたないとわかった次第。いろいろなことを知ると、今までの知識が相互間で矛盾をしてくることに気付く。
自分自身が非常に小さい場所に置かれているにすぎないというようなことを知ると、今までのゆるぎなかった確信も、すっかり崩れてしまった。すなわち、何もわかっていないということがわかった次第である。
最近になって、かつて学んだ基本的なことに、疑問をもつようになった。科学で証明されたことなどが、ゆるぎない確信であったのだが、何となくそれらも怪しげであることに気付き始めた。もっとも、その科学を科学的証明によって反駁をしたわけではない。
理性というか、本能というか、直感で疑い始めたのである。そもそも、人間の判断などというもの自体が、仮のものでしたないとわかった次第。いろいろなことを知ると、今までの知識が相互間で矛盾をしてくることに気付く。
自分自身が非常に小さい場所に置かれているにすぎないというようなことを知ると、今までのゆるぎなかった確信も、すっかり崩れてしまった。すなわち、何もわかっていないということがわかった次第である。
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