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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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死ぬときに「意」をもちてゆく懸念が生ず。


最近になって、何となく自分自身の「死」を考えるようになった。
そして、むろん肉体は焼かれてしまうが、「意」が残るような懸念が心配として現実化してきた。今までは、脳も焼かれてしまうので、そんなことはないと考えていた。

しかし、生前には記憶が脳に蓄えられているのが現実としても、いっぽうではプラズマとして荷電体になっているらしい。人魂(ひとだま)などという言葉が古くからあるのは、そのようなことを暗示しているのではないか。

とにかく、物理的な物体として人体を考えるのではなく、電磁波のようなエネルギーとしてとらえると、重力の場だけでは解決できないこともあるような気がする。
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