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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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親と子の関係につき、思うことあり。


父母が早く死んだので、いわゆる親孝行などはできなかった。残念であり、『父母恩重経』を思い出す。また、『孝経』なども考えるが、「身体髪膚これを父母に受く。敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは考の始めなり。」はともかく、「身を立て道を行ひ、名を後世に揚げて以て父母に顕はすは、孝の終りなり」などとは思っていない。さらに、『論語』(泰伯第八の三)にある曾子(そうし)が臨終のときに言った「死んだら私の足と手を開いてみろ。傷などは何もないはずだ!」も、何となくわかるような気がする。

私は、なぜか「孝行」というと、次の3人の名前とその母親のことを思い出す。

王祥(おうしょう)……母親が寒中に「鯉が食べたい」と言う。そこで、池に行って裸になり、氷の上に横になった。氷を溶かすためである。やがて、氷が溶けて一匹の鯉が氷上に躍り出てきた。
孟宗(もうそう)……やはり、母親が寒中に筍(たけのこ)が食べたいと言う。そこで、竹藪に行って掘ってみたら、たまたま一本があった。
呉孟(ごもう)……超貧乏なので夏に蚊帳(かや)もなく、母親が蚊に刺されてしまう。そこで、自分の身体に酒を吹きかけて母の横に寝ていた。つまり、蚊はすべて酒を吹きかけた自分の身体から血を吸ったのである。
何とも非現実な話ではあるが、すべてが母親であり、父親ではないところが面白い。もっとすごいのは、誰が書いた何という古典か忘れてしまったが、「自分の腿(もも)の肉を切り取って母に食べさせた」というのである。
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