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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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人の師となる条件は、その人格か?


吉田松陰(1830~1859)は、「軽々しく、人の師となるな。また、軽率に人を師と仰ぐな」と書き残した。もっともなことであると思う。またソクラテスほどの人でも「私は人を教育したこともないし、謝礼として金銭をもらい受けたこともない」と言っている。

細井平洲(ほそいへいしゅう 1728~1801)は、上杉鷹山(うえすぎようざん)の師で、江戸中期の儒学者。人の師となる条件あげている。「仁徳が深くて高い」「多方面の知識が豊かで、才能がある」「常に学んで、努力する」「落ち着きがあって、正直」「賢い人をねたまずに、他人のよい言葉を喜んで聞く」「よい行いを称揚(しょうよう)して、古今の書籍に書いてある内容を信じる」「言葉や行いを日々学び聞く努力をして、それを現時点で活用する心がけがある」「驕(おご)りたかぶったり、財宝にこだわったりしないで、他人のことを思いやって、恕(ゆる)す心をもっている」など。

私は、いつも渡邊五郎師を思うのである。
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