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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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菊池寛、『六宮姫君』『好色成道』。


菊池寛の「新今昔物語」(しんこんじゃくものがたり)全十三話の中の第一話と第十三話。つまり冒頭の一話と最後の一話。この二作は、いつ読んでも私を大いに感動させる。

『六宮姫君』は、おそらく「ろくのみやのひめぎみ」と読むのであろう。それは芥川龍之介の作品と比べると、ラストの部分がちょっと異なるように思うのであるが、読むたびに気持ちが高ぶってしまうのはなぜか。

『好色成道』は、「こうしょくじょうどう」と読むのではないか。成道(じょうどう)は仏教の用語で、道を完成するという意味。つまり、悟りを得るということ。好色とあって、何となくユーモラスな内容である。しかし私は、読むたびに鳥肌が立つほどの逼迫を感じる。なぜここから事態が差し迫ったり、苦痛や危難が身に迫る感じに自分がなるのであろうか。
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「大黒天」「吹上大仏」、参拝をした。


友と善生寺(日野市東豊田二丁目)の吹上大仏と大黒天を参拝した。豊田といっても、私たちのところからは高幡不動駅まで電車で、そしてそこからミニバスで行けば、簡単に行ける。東豊田バス停または一番橋バス停で降りる。

吹上大仏は、坂上の交差点のところから入れた。大仏さまの背中のところである。いつもそこから入れるかどうかわからない。その日が、土曜日であったからだろうか。大仏さまの下に礼拝室もあって、中もなかなか見事だ。

大黒さまは、伝教大師が日本にもたらしたという。もともと、インドの神さまでマカラ天といい恐い存在だったが、後に七福神の一人になり、福の神さまになられた。この善生寺の大黒さまは、ルーツのお姿をとどめているように、私には思える。
ハナアルキ、実在したかどうか知りたい。


鼻については、不思議なことが多い。パスカル『パンセ』にあるクレオパトラの鼻の話、芥川龍之介の禅智内供(ぜんちないぐ)の『鼻』、そして白井弁十郎(シラノ=ド=ベルジェラック)の鼻など。いずれも、興味がつきない。

自分であることを示すのに、自分の鼻を指差すことも不思議である。まるで、鼻自体が自分自身であるようなしぐさである。また、動物園で象の鼻の動きを見ていると、感心してしまう。

さらに、不思議なのは鼻行類。ハナアルキである。体をラン(蘭)に似せたり、ナメクジのように這うものがいるかと思えば、ジェットで飛ぶものもいる。中には鼻が四つあって、それらを脚として歩く。共立出版の学術書形態になっているので、私には記述がいんちきだとは思えないのだが、……
風邪ひくと何をするのも面倒になる。


悪い風邪をひいて、いったんウイルスが体内に入ってしまうと、身体に負荷が増えるためでしょう、体調がよくなくて、何をするのも面倒くさい。億劫で、憂鬱なのである。

どんなにがんばっても、体内に入ったウイルスにはかないません。私はじっとしていて、ウイルスが弱まるのを待つのです。むろん、発熱が激しかったり、痛みが出たりしたら、病院に行くでしょう。単に気分が悪いくらいでは、静かに我慢をしています。

毎年ワクチンをする人がいます。しかし、まったく同じ種類のウイルスが来るとは限りません。さらに、ワクチンでは副作用が生じるかもしれないのです。そんなわけで、常日頃から健康には留意して、風邪のウイルスに犯されない体力を作っておきたいものです。
恐ろしい寄生虫には注意をしよう!


知らない間に人体に侵入をして、病気を引き起こす寄生虫たち。寄生虫は、他の生物の体の内外にいて、栄養の横取りをして生きている。すべての生物には、寄生虫がいると言ってもよいだろう。

人間には体外に寄生するノミ(蚤)・シラミ(虱)などの他に、内部寄生をする恐ろしい虫たちがいる。アニサキス・エキノコックス・日本住血吸虫(にほんじゅうけつきゅうちゅう)・トキソプラズマ・顎口虫(がっこうちゅう)・マラリア原虫・回旋糸状虫(かいせんしじょうちゅう)・クリプトコッカスなど。

それらは、ふつう人間以外の動物に寄生するのであるが、人体に入り込むと病気を引き起こしたり、重大な症状を招く。たいがいは加熱することで、死滅するが肉や魚を生焼けで食べて体内に入れてしまう。エキノコックスやトキソプラズマやクリプトコッカスなどは、キツネ・イヌ・ネコ・ハトなどから外部感染するので注意が必要。
本当に必要なもの、数多くない。


考えてみれば、生きていくために本当に必要なものは意外に少ない。つまり、あまり多くないということである。それなのに、なぜ次々と所有欲や蒐集癖が出てくるのであろう。

蹲(ついくばい)に「五・隹・止・矢」と書いて、中央の「口」と組み合わせ「吾唯足知」と読む言葉がある。まったくそのとおりであり、自分自身の限界を知れば、本当に必要なものは意外に少ないことがわかる。豊かさの中で、心まで豊かになるためには、何が必要なのかが自ずとわかってくるだろう。

現代社会は欲望を煽(あお)って、「蛙の腹自慢」のようなことをさせるようだ。もっとも、それに乗らない人もいることはいるけれども、立場上どうしても追い込まれてしまう場合が多い。そんなことが最近、何となくわかってきた。
「上・中・下」「大・小」などの読み方、難(かた)し。


「上」「中」「下」や「大」「小」などの読み方は、なかなか難(むずか)しい。なぜならば、習慣で決まっている場合が多いからである。仏教経典の漢音・呉音などの区別よりも、私には複雑でわかりにくい。

例えば、「大豆」は「だいず」であるが、「小豆」は「しょうず」ではなく「あずき」である。また、尾篭で恐縮であるが「大便」と「小便」であり、鳥の鷺(さぎ)は「ダイサギ」と「コサギ」である。

「上・中・下」も「じょう・ちゅう・げ」でない場合が多い。「上段」「中段」「下段」や「上等」「下等」の「下」は、どちらでもよいだろうが、「上越」「中越」「下越」は、「げ」ではなく「か」と読ませる。つまり、「じょうえつ」「ちゅうえつ」「かえつ」なのである。「加越台地」から、きているからであろうか。
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