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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「めろうふ」か「ばろうふ」と読むか? 迷ってしまう。


三十三観音の中の「馬郎婦観音」である。ふつうは、「めろうふ」と読むことが多い。女性の姿をしている観音さまで、手に『法華経』と頭蓋骨を持つこともある。そのいわれは馬(ば)氏に嫁いだことを物語る。しかし、一方では魚籃観音と同身であるという意見も見受けられる。

経には、そのようなことが多いから、もしかしたら呉音と漢音との読みの違いかもしれない。三十三観音には入っていないが、馬頭観音というのがある。それは、「ばとう」つまり「ば」だ。また、牛頭馬頭は、「ごずめず」と読んで、「ばず」とは読まない。長い間の習慣によっているのかもしれない。

馬喰町の「馬喰」は「ばくろう」だと思うが、駅名は「ばくろちょう」、「う」がない。そんなことがよくある。秋葉原は、「あきば」の原だから、本来は「あきばはら」だったのかもしれない。なお、秋葉神社は「ば」と濁らなくて「あきはじんじゃ」と読むそうである。
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あの人に逢いたくもあり、すでに亡き後(あと)。


「あの人に逢いたい」と、強く思うことがある。しかし、当人はとっくに亡くなっている。したがって、いくら思っても逢うことはムリ。最近になって、そんなことがよくある。かつては、父母について思ったが、ここのところ親しかった知人のことが、しばしば偲(しの)ばれる。

ちょっとした何かのきっかけで、そんな感情が甦(よみがえ)ってくる。そして、なつかしく思うのである。もう一度逢ってみたいという気持ちが、何となく湧き出てくる。それが無理であることが、わかっていても。

昔から「孝行をしたいときには親はなし」とか「墓に布団は着せられぬ」などと言う。一日一日を大切にして生きていても、親に対しては、そんなことになる。したがって、友だちや恋人でも、逢える間に時間の許す限り、逢っておくのがよいのではなかろうか。
ロイブケのピアノソナタを聞いて楽しむ。


久々にロイブケのピアノソナタを聞いてみた。演奏をしている動画ではなく、楽譜を次々と示すもののほうが楽しめる。

ユリウス=ロイプケ(Julius Reubke 1834~1858)はドイツの作曲家、ピアニスト。オルガニストでもあったという。ベルリンの音楽院でピアノを学び、後にフランツ=リストの愛弟子となった。しかし、二年後に亡くなっている。

「Piano Sonata in B-flat minor」となっていて番号がないから、この曲しかピアノソナタを残さなかったのかもしれない。三十分にわたる大曲でも、単一楽章のようにも聞こえる。区切りは、せいぜいフェルマータが置かれた程度。聞いて楽しむとは、動画が演奏家ではなく楽譜を示してくれるから。ページを繰る必要がない。むろん、私が弾ける内容ではないが、とても緊張をする。
マグノリア、マロニエ咲きて夏を感ずる。


マグノリア(magnolia:ラテン語)は、モクレン科モクレン属の植物。芳香があって、観賞用になる。落葉樹で、葉は卵形。春に葉に先だって紫色の六弁花を開く。中国の原産で、古くから庭木とされている。モクレン科には、コブシ・オガタマノキ・ユリノキなども含まれる。

マロニエは(marronnier:フランス語)は、トチノキ科の落葉樹。聖蹟桜ヶ丘の川崎街道にある並木は、ベニバナトチノキ。樹皮は灰褐色、葉は大きく数枚の倒卵形をした手の平状の複葉。初夏、赤みがかった白色の花を円錐状に咲かす。バルカン半島の原産、街路樹などにされる。

いずれも、個性のある花。私はどちらも大好き。マグノリアの香りも好きだし、マロニエの勢いも素晴らしい。冬に丸裸に切ってしまった木から、新芽が吹き出して、さらに花を次々と付けるのが何とも不思議である。
新句(十九音)には論理の飛躍、大いに結構。


「結構」という言葉は、OKのときもNOのときも使える便利な表現。お見合いをして「結構でございます」と言われ、待っていてもなかなか連絡がこない。仕方なく問い合わせをすると、「あのとき、結構でございますとお断わりをしたはずなのに」と言う。そんな言葉があるが、新句では自分がわかればよい。

また、論理の飛躍があっても、一向にかまわない。考えに矛盾があるのは、よくあることだが論文では許されない。しかし、新句ではOK。もしも、忘れてしまいそうなことであれば、コメントとして残しておけばよい。

新句は、まず五・七・七。タイトルとも考えられる部分。それだけでもよいが、その後に思いついたことを書き加えておくとよい。いま読んでいただいているこの部分にである。「何がどうしたか」くらいの覚えは、メモっておけるだろう。繰り返すが、要は「自分でわかれば、それでよい」のである。
ちょうどよい、私にとって新句(十九音)の長さ。


何か記録をしたいときは、ふつう文章にする。稗田阿礼や馬のようなことは、私には不可能。そこで私は、小さい単位に区切ってメモをする。そのとき、『歎異抄』に唯円が書き残した師の言葉「弥陀の五劫思唯(ごこうしゆい、唯はりっしんべん)の願いをよくよく案ずれば、ひとへに親鸞ひとりがためなり」のような長くて高邁な文章は、到底「一人」の私にはムリ。

せいぜい、「咳をしても一人」くらい。私の知っている短詩形、つまりここでは俳句だが、その中でいちばん短い。また、五七五にもなっていない。さらに、その前後の事情がわからないと理解できない。

尾崎放哉(おざきほうさい)は東大の経済学部を卒業して、保険会社に入社。支店長になるが、ある日突然に家出をした。妻子を捨て、あちこち放浪する。西行ではないが、種田山頭火のような乞食同然になったのである。そして、小豆島で病に倒れ最期。一連の斬新な非定型俳句を残した。
都都逸と短歌のリズム、試みてみた。


都都逸(どどいつ)をご存知でしょうか? 「とといつ」ではありません。ふつう「都都逸」と書くが、「都々逸」「都都一」などとも。いわゆる俗曲の一つで江戸時代に成立し、寄席で歌われて流行した。「七・七・七・五」の二十六文字で、男女間の細やかな情を表現したものが多い。

短歌は、「五・七・五・七・七」のいわゆる「みそひともじ」であり三十一文字。最初の「五・七・五」を上の句、下の「七・七」を下(しも)の句という。

いずれも少し長すぎると私には思われたので、俳句の「五・七・五」では言い切れず、二文字増やして「五・七・七」とした。形式としては、短歌の上の句の最後の部分と下の句を続けたような感じである。それは、長歌(ちょうか)の最後の部分に、似ているかもしれない。そして、それに新句(十九音)と命名したのであるが、……。
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