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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ちょうどよい、私にとって新句(十九音)の長さ。


何か記録をしたいときは、ふつう文章にする。稗田阿礼や馬のようなことは、私には不可能。そこで私は、小さい単位に区切ってメモをする。そのとき、『歎異抄』に唯円が書き残した師の言葉「弥陀の五劫思唯(ごこうしゆい、唯はりっしんべん)の願いをよくよく案ずれば、ひとへに親鸞ひとりがためなり」のような長くて高邁な文章は、到底「一人」の私にはムリ。

せいぜい、「咳をしても一人」くらい。私の知っている短詩形、つまりここでは俳句だが、その中でいちばん短い。また、五七五にもなっていない。さらに、その前後の事情がわからないと理解できない。

尾崎放哉(おざきほうさい)は東大の経済学部を卒業して、保険会社に入社。支店長になるが、ある日突然に家出をした。妻子を捨て、あちこち放浪する。西行ではないが、種田山頭火のような乞食同然になったのである。そして、小豆島で病に倒れ最期。一連の斬新な非定型俳句を残した。
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