rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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なせばなる切に思いて、なさねばならぬ。
道元の『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)だったか、孤雲懐奘(こうんえじょう)『正法眼蔵随聞記』だったか忘れたが、その一部の版に
<切に思うこと、必ず遂(と)ぐるなり>
という驚くべき言葉が、書写をした人によって書き加えられている。
孤雲懐奘(1198~1280)は比叡山の僧だったが、いさぎよく道元の弟子になり、後に永平寺の第二世となった人。最初の問答では道元に及ばなかったものの、後には師より優れたのではないかと私は思う。あまりよく知らないが、懐奘の一連の行動は、旧約聖書『コヘレットの書』にある
<畏(おそ)れは智慧の始まり>
という言葉を何となく私に思い出させた。
また、この新句(十九音)の下の句「なさねばならぬ」の意味は、熊沢蕃山と違って「しなければいけません」という意味。つまり、自分の可能性を絶対に諦めてはダメなのです。
道元の『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)だったか、孤雲懐奘(こうんえじょう)『正法眼蔵随聞記』だったか忘れたが、その一部の版に
<切に思うこと、必ず遂(と)ぐるなり>
という驚くべき言葉が、書写をした人によって書き加えられている。
孤雲懐奘(1198~1280)は比叡山の僧だったが、いさぎよく道元の弟子になり、後に永平寺の第二世となった人。最初の問答では道元に及ばなかったものの、後には師より優れたのではないかと私は思う。あまりよく知らないが、懐奘の一連の行動は、旧約聖書『コヘレットの書』にある
<畏(おそ)れは智慧の始まり>
という言葉を何となく私に思い出させた。
また、この新句(十九音)の下の句「なさねばならぬ」の意味は、熊沢蕃山と違って「しなければいけません」という意味。つまり、自分の可能性を絶対に諦めてはダメなのです。
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