忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[1438]  [1660]  [1776]  [1803]  [1974]  [1830]  [1809]  [1975]  [1989]  [1984]  [2018
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

存在をすること自体、罪でもあるか?


自分が存在をしていること自体が、すでに罪であるのではないかというような錯覚と懸念。つまり、多くのものの犠牲と消費のうえに成り立っている私たちの日々の生活であるが、金さえ持っていれば何でも買えて、贅沢できる現代である。そんなことがふつうになった世の中で、存在が罪などと考える馬鹿はもはやいない。

しかし、サッタ王子の話や雪山偈などを考えると、過去にはものすごい人がいたと思う。キリスト教でもしかり。フランチェスコなどもその一人ではないか。

食べ物に関しても、謙虚さを失ってしまった。「五観の偈」(ごかんのげ)では、食事の都度「多くの人が働いてこの食事ができたが、自分はこれをいただく価値があるか」「食事を良薬と考えて、これを自分の完成のためにいただく」などと考える。しかし、もはやそんなことをする人は少ない。私の知っている範囲では、渡邊師とシスター三田くらい。
PR
忍者ブログ [PR]