rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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楽しみは自分自身の知的空間。
小さくてもよいから、それなりに自分自身の知的空間をもちたい。それを構築することが、一種の楽しみではないだろうか。例えば、ホームページやプログなどである。現実の世の中では、人間関係にトラブルが生じる。なぜならば、利害関係が対立するからである。金儲けをするとか、有名になろうとしたら、すぐに煩わしい問題が生じる。
しかし、知的空間には無限の可能性があって、その中で活動すれば問題は生じにくい。心が落ち着くし、考えたことを実現できる。むろん、公開をすると著作権の問題や筆禍などが生じる。
何のことはない、子どもが積木で遊ぶようなものである。組み立てたり、分解したり、追加をしたり、そんな中に何となく楽しみがあるのではないだろうか。たとえ逃避と言われても、……。
小さくてもよいから、それなりに自分自身の知的空間をもちたい。それを構築することが、一種の楽しみではないだろうか。例えば、ホームページやプログなどである。現実の世の中では、人間関係にトラブルが生じる。なぜならば、利害関係が対立するからである。金儲けをするとか、有名になろうとしたら、すぐに煩わしい問題が生じる。
しかし、知的空間には無限の可能性があって、その中で活動すれば問題は生じにくい。心が落ち着くし、考えたことを実現できる。むろん、公開をすると著作権の問題や筆禍などが生じる。
何のことはない、子どもが積木で遊ぶようなものである。組み立てたり、分解したり、追加をしたり、そんな中に何となく楽しみがあるのではないだろうか。たとえ逃避と言われても、……。
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