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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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塩・砂糖、使わぬ調理、丸い味わい。


塩・砂糖を台所に置かなくなってから久しい。つまり、調理の味付けには塩・砂糖を用いない。すると、最初は物足りなかった味が、やがて自然の持味がわかるようになる。つまり、その植物がもっている本来の丸みのある味わいである。

野菜ばかりではない。サツマイモやジャガイモなども、圧力釜でふかすだけで味付けをことさらしない。むろん、マヨネーズやトマトケチャップなど一切用いない。そもそもマヨネーズやトマトケチャップなどは、私の家に置いてない。

そんなわけで、私も妻も一年ほどで糖尿病・高血圧症が治ってしまった。完治したかどうかわからないが、少なくとも尿糖も出なくなったし、血圧も境界値か、それ以下になった。まったく費用をかけずに、糖尿病・高血圧症が治ったのである。我ながら、驚いてしまった。
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何故に多くの寺社が存在するか?


プチさん(プティ散策)をしていて、いつも思うこと。何故に、このように多くの仏閣と神社が存在するのであろうか。もともと、寺や社(やしろ)などは、その地域の集会所のようなものだったのかもしれない。しかし、隣接をして多くの寺社があったりもする。もしかしたら、宗派の違いなのであろうか。


現在でも「10万寺院、30万僧侶」というほどの繁盛です。むろん、新興仏教も含めての話。これは花岡先生の「空海の講義」で聴いた話ですから、20年も前のことです。しかし、今も同じくらいの寺院数、僧侶数ではないでしょうか。大ざっぱに考えると、千人に対して1つの寺院と3人の僧侶がいることになります。

飢饉や災害があった場合にも、そこに集まったのかもしれない。単に信仰のためだけではないように思う。いずれにしても寺には僧侶、神社には神主のような知識人がいて、何かと民衆の指導にあたったのであろう。寺小屋などという言葉も、寺で教育をしたことを物語っている。
なつかしい神社仏閣、こころのルーツ。


神社や仏閣に行くと、何となくなつかしい気持ちがする。こころのルーツなどと言った感じは、なぜだろうか。おそらく、かつては神社や仏閣が災害の避難場所であったり、病院などの機能をはたした時代があったのであろう。また、教育の場であったかもしれない。

だから、私たちは当時のことを遺伝子の中に覚えていて、何となくなつかしく感じるのではないか。言ってみれば、現代の公会堂のような役目を古くから神社仏閣が果たしていたようだ。

また、かなりの数があることも肯(うなず)ける。それだけ、その土地には必要だったからであろう。神社と仏閣は、神と仏が信仰の対象。明治時代の神仏分離令以前は神社と仏閣を区別する必要がなく、両方を含めて考えることが多かったという。
健康に関する弘法(ぐほう)、続けてゆきたい!


だいぶ以前から、私は健康や老化予防に関しての研究をしてきた。そして、今後は弘法(ぐほう)というと大げさであるが、それらを世に弘めていきたい。大げさというのは、弘法とは仏教の教えを弘めることだからである。

立正大師や一遍上人のように、精力的にあちこち回ればよいだろう。しかし、私は、もはや身体が衰えていて、精力的に歩き回ることができない。そこで、考えたのがインターネットの利用である。

弘法というか広報は、Facebookページやホームページ、ブログを利用する。そして、質問などがあった場合、メールなどで応える。私は、広報手段として、ホームページやブログの他に、Facebookの中に
  「健康・老化予防フォーラム」「老化予防フォーラム」のグループ二つ
  「日本健康会」というFacebookページ一つ
計三つを用意している。
フェイスブック、何がなんだか分からぬままに。


今までやった言語プロセッサの中で、このフェイスブック(Facebook)がいちばん解りにくかった。個人間のコミュニケーションから、営業的な戦略までを含んだ大きなシステムだからである。

それでも、こねくり回しているうちに、何とか必要最小限のことだけは覚えた。そして、深入りをすることを常に避けてきた。たかが、通信の手段に過ぎない一つのツールに時間を割くことが愚かしいからである。本来ならば、すっきりした使勝手であるべきものであろうが、度重なる機能拡張により複雑怪奇な構造になってしまったようだ。

そんなことを考えると、無料でシステムを使わせてもらうのであるから、少々のことは仕方ない。我慢すべきであると考え、いちおうこの言語プロセッサの大まかな仕様を理解した。そして、何とかこれから利用をしていくことに自信を得た次第である。


ちょっとしたことで、体のバランス崩す。


若いころは丈夫だったが、加齢とともに体調が変化をするらしい。すなわち、老化による衰えが、目立ち始めるのである。風邪のビールスに犯されたり、消化不良で胃がもたれたりする。そして、体全体の調子が乱れてしまう。

また、目の疲労からもかなり思考能力を落としてしまう。眼精疲労というのであろうか、気力までが減退する。目を使いすぎると、なりやすい症状である。パソコンを長い時間にわたって使っているとなることが多い。

いったい、体がバランスよく動いているときは、自分の体などを意識しない。ある特定の箇所を意識するのは、その箇所が病んでいるからかもしれない。とにかく、体のバランスを崩さないように、また気力を失わないように、常日頃から注意をしなくてはいけない。
衰えは、気持ち次第で減少できる。


いつまでも若くありたいと思う。しかし日に日に、衰えが進む。それは現実である。還暦を過ぎ、古希を迎えたころから、もうダメだなどと思う。

しかし、気持ち次第で衰えを遅く進ませることができるのではないかなどとも考える。むろん、衰えないなどということは不可能であろう。その進みを遅らせることは、工夫次第でかなり実現できるはずだ。

いつまでも青春であるためには、ウルマンの詩にあるように「年を重ねただけでは、人は老いない。人が老いるのは、理想を失うときだ。……60歳であろうと、はたまた16歳であろうと、心中に不思議なものに興味をもつ気持、子どものような未知への探求心、人生への興味と喜びがある。」と、私も思う。
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