rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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人生は、帰るところが在(あ)る旅である。
日々帰るところに帰って休む。ホームレスでも、睡眠はする。つまり、眠りが帰るところなのである。そして、次の日には再び旅に出る。私の旅は小さく、せいぜい都内をうろちょろするだけである。
そんなことを毎日やっている。小さい旅の連続である。しかし、やがて死んでしまう。すると、帰るところのない旅になる。すなわち、生きていたときのように反復して戻ることが、もはやできない。
生き生きとしている野菜も、買って三日ほど置くとしおれてしまう。水をやると回復することもあろう。しかし、いったん枯れてしまうと、もはや新鮮には戻らない。それは、あたかも人生のようなものであろう。生きているうちは回復ができるのであるが、死んでしまうとどこにも戻れない。ただじっとして、耐えているだけである。そんなことがわかってきた。
日々帰るところに帰って休む。ホームレスでも、睡眠はする。つまり、眠りが帰るところなのである。そして、次の日には再び旅に出る。私の旅は小さく、せいぜい都内をうろちょろするだけである。
そんなことを毎日やっている。小さい旅の連続である。しかし、やがて死んでしまう。すると、帰るところのない旅になる。すなわち、生きていたときのように反復して戻ることが、もはやできない。
生き生きとしている野菜も、買って三日ほど置くとしおれてしまう。水をやると回復することもあろう。しかし、いったん枯れてしまうと、もはや新鮮には戻らない。それは、あたかも人生のようなものであろう。生きているうちは回復ができるのであるが、死んでしまうとどこにも戻れない。ただじっとして、耐えているだけである。そんなことがわかってきた。
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YouTube(ようつべ)で、記憶に残る映画を探す。
雨の日は、出かけるのが億劫であり、部屋に閉じ込められてしまう。そこで、パソコンを始める。すると、実にいろいろな分野のことがわかって、なかなか興味がつきない。しかし、ときどき私の記憶の断片とマッチをしない。そして、それがまた次の記憶の断片になる。
かなり前の映画がもう一度見たくなっても、なかなか出てこない。
例えば、『かくも長き不在』『みじかくも美しく燃え』『デルス・ウザーラ』など。何となく印象が深く、心に住み着いている映画だ。
『かくも長き不在』は「かくも久しき不在」、『みじかくも美しく燃え』は「美しく短く燃える」と覚えていた。文字が異なると、出てこないことが多い。後者は、原名の「Elvira Madigann」とするとたくさん出てくる。原名とタイトルが異なることもある。「ヒロシマ・モナムール」(Hiroshima,mon amour)は、『二十四時間の情事』となっている。そんなわけで、探すのに一苦労だが、それも楽しい。
雨の日は、出かけるのが億劫であり、部屋に閉じ込められてしまう。そこで、パソコンを始める。すると、実にいろいろな分野のことがわかって、なかなか興味がつきない。しかし、ときどき私の記憶の断片とマッチをしない。そして、それがまた次の記憶の断片になる。
かなり前の映画がもう一度見たくなっても、なかなか出てこない。
例えば、『かくも長き不在』『みじかくも美しく燃え』『デルス・ウザーラ』など。何となく印象が深く、心に住み着いている映画だ。
『かくも長き不在』は「かくも久しき不在」、『みじかくも美しく燃え』は「美しく短く燃える」と覚えていた。文字が異なると、出てこないことが多い。後者は、原名の「Elvira Madigann」とするとたくさん出てくる。原名とタイトルが異なることもある。「ヒロシマ・モナムール」(Hiroshima,mon amour)は、『二十四時間の情事』となっている。そんなわけで、探すのに一苦労だが、それも楽しい。
何となく不安な気配、キリコ『輪回し』。
ジョルジュ=デ=キリコ(Giorgio de Chirico 1888~1978)はイタリアの画家。幻想的で、神秘的な形而上絵画を残し、シュールレアリスムの先駆者と言われる。
私は『街の神秘と憂鬱』という絵を見て、何となく不安な気配を感じる。左右の建物の影のアンバランス。暗いほうの壁ぎわに、扉が開けたまま放置されている囚人車。そして、中は空っぽのようだ。左手前から髪の長い女の子が、輪回しをして走っていく。
その先には、背の高い男の影が不気味に映っている。女の子に、何もなければよいが。これは、何となく心に住み着くような画だ。私には映画にも、そんなイメージがあった。例えば、『かくも長き不在』。
ジョルジュ=デ=キリコ(Giorgio de Chirico 1888~1978)はイタリアの画家。幻想的で、神秘的な形而上絵画を残し、シュールレアリスムの先駆者と言われる。
私は『街の神秘と憂鬱』という絵を見て、何となく不安な気配を感じる。左右の建物の影のアンバランス。暗いほうの壁ぎわに、扉が開けたまま放置されている囚人車。そして、中は空っぽのようだ。左手前から髪の長い女の子が、輪回しをして走っていく。
その先には、背の高い男の影が不気味に映っている。女の子に、何もなければよいが。これは、何となく心に住み着くような画だ。私には映画にも、そんなイメージがあった。例えば、『かくも長き不在』。
宝塚「ブスの25箇条」、学ぶことあり。
貴城けい(たかしろけい)が宝塚の現役だったころ、貼り出されていた一枚。誰が、何のためにしたのかはわからないという。
「笑顔がない」「お礼を言わない」「おいしいと言わない」「目が輝いていない」「精気がない」「いつも口がへの字の形をしている」「自信がない」「希望や信念がない」「自分がブスであることを知らない」「声が小さくイジケている」「自分が最も正しいと信じ込んでいる」「グチをこぼす」「他人をうらむ」「責任転嫁がうまい」「いつも周囲が悪いと思っている」「他人にシットする」「他人につくさない」「他人を信じない」「謙虚さがなくゴウマンである」「人のアドバイスや忠告を受け入れない」「なんでもないことにキズつく」「悲観的に物事を考える」「問題意識を持っていない」「存在自体が周囲を暗くする」「人生においても仕事においても意欲がない」
私は、この貴城けいの思い出から学ぶことが多く、なるほどと思った。
貴城けい(たかしろけい)が宝塚の現役だったころ、貼り出されていた一枚。誰が、何のためにしたのかはわからないという。
「笑顔がない」「お礼を言わない」「おいしいと言わない」「目が輝いていない」「精気がない」「いつも口がへの字の形をしている」「自信がない」「希望や信念がない」「自分がブスであることを知らない」「声が小さくイジケている」「自分が最も正しいと信じ込んでいる」「グチをこぼす」「他人をうらむ」「責任転嫁がうまい」「いつも周囲が悪いと思っている」「他人にシットする」「他人につくさない」「他人を信じない」「謙虚さがなくゴウマンである」「人のアドバイスや忠告を受け入れない」「なんでもないことにキズつく」「悲観的に物事を考える」「問題意識を持っていない」「存在自体が周囲を暗くする」「人生においても仕事においても意欲がない」
私は、この貴城けいの思い出から学ぶことが多く、なるほどと思った。
何故か? 噎(む)せる・咳き込む、体の失調。
いつごろからだろうか? 身体が失調をすることが多くなった。何かの拍子に息苦しくなって、噎せるのである。あるいは、咳き込んでしまってなかなか止まらない。電車の中などでは、困ってしまう。
また、電車やバスに乗って車内で噎せるのではないかと心配をすると、その途端(とたん)に症状がやってくる。かなり精神的な問題でもあろう。
数年前に、手術を受けるために入院をした。それ以前は、噎せたり咳き込んだりすることは、めったになかったと思う。また、身体が失調するということも少なかった。鼻水がずるんずるん出て止まらなかったり、喉(のど)がヒリヒリ枯れてしまうような症状は、おそらく自律神経失調症なのではないか。もしかしたら、院内感染によって腸内細菌の状態が変わってしまったのが原因かもしれない。
いつごろからだろうか? 身体が失調をすることが多くなった。何かの拍子に息苦しくなって、噎せるのである。あるいは、咳き込んでしまってなかなか止まらない。電車の中などでは、困ってしまう。
また、電車やバスに乗って車内で噎せるのではないかと心配をすると、その途端(とたん)に症状がやってくる。かなり精神的な問題でもあろう。
数年前に、手術を受けるために入院をした。それ以前は、噎せたり咳き込んだりすることは、めったになかったと思う。また、身体が失調するということも少なかった。鼻水がずるんずるん出て止まらなかったり、喉(のど)がヒリヒリ枯れてしまうような症状は、おそらく自律神経失調症なのではないか。もしかしたら、院内感染によって腸内細菌の状態が変わってしまったのが原因かもしれない。
毎日の老化予防と楽しみ探す。
老いてくると、何とかしてそれを遅らせることを考える。つまり、老化予防の方法である。老いるのは仕方がないものの、少しでもそのスピードを落とすことが必要。なるべく長持ちをさせる方法と言えば、わかりやすいかもしれない。それが、アンチエイジング(antiageing)のこつ。加齢に伴った症状をなるべく遅くすることである。
食べ物や生活習慣などを見直して、改める箇所は早めに実行する。今までダラダラとしていた習慣も、思い切って改めなければならない。
そして、日々の楽しみも必要である。今までのように遠くに旅行をしたり、スポーツを楽しむわけにはいかない。体力が衰えてしまったからである。そんな中で、身近な楽しみを探すのに一苦労。しかし、新しい視点で捉えると、楽しいことは意外に多くある。
老いてくると、何とかしてそれを遅らせることを考える。つまり、老化予防の方法である。老いるのは仕方がないものの、少しでもそのスピードを落とすことが必要。なるべく長持ちをさせる方法と言えば、わかりやすいかもしれない。それが、アンチエイジング(antiageing)のこつ。加齢に伴った症状をなるべく遅くすることである。
食べ物や生活習慣などを見直して、改める箇所は早めに実行する。今までダラダラとしていた習慣も、思い切って改めなければならない。
そして、日々の楽しみも必要である。今までのように遠くに旅行をしたり、スポーツを楽しむわけにはいかない。体力が衰えてしまったからである。そんな中で、身近な楽しみを探すのに一苦労。しかし、新しい視点で捉えると、楽しいことは意外に多くある。
異星人アリ先生と私の出会い。
『こころ』というタイトルの小説を書こうとしている。その一章「先生と私」。
私は看護学校の学生。まもなく卒業である。ある日、植物園の温室で先生と助手が歩いているのに出会う。後から歩いていく間に、何となく会話がもれ聞こえた。とても興味深い内容であったので、やがて逍遥の仲間に入ったのである。
第二章「先生の思い出」。(「両親と私」じゃない。)
先生の奇行について、初めはわからなかった。それは、ことごとく人間の常識とは異なっていたからである。おそらく、先生は合理的で進化をした神仏にも似た思考をしていたのであろうか。
第三章「先生の遺書」。そこには、驚愕の事実が淡々と述べられていた。短いが、それは先生の私に対する最後の好意であったに違いない。先生が使命を果たさずに、命を絶ってしまったのは、それをするに忍びなかったに違いないからである。
『こころ』というタイトルの小説を書こうとしている。その一章「先生と私」。
私は看護学校の学生。まもなく卒業である。ある日、植物園の温室で先生と助手が歩いているのに出会う。後から歩いていく間に、何となく会話がもれ聞こえた。とても興味深い内容であったので、やがて逍遥の仲間に入ったのである。
第二章「先生の思い出」。(「両親と私」じゃない。)
先生の奇行について、初めはわからなかった。それは、ことごとく人間の常識とは異なっていたからである。おそらく、先生は合理的で進化をした神仏にも似た思考をしていたのであろうか。
第三章「先生の遺書」。そこには、驚愕の事実が淡々と述べられていた。短いが、それは先生の私に対する最後の好意であったに違いない。先生が使命を果たさずに、命を絶ってしまったのは、それをするに忍びなかったに違いないからである。