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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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新しき年を希望で迎える習い。


とにかく、新しい年を迎えたので、ことほぎまつる。ここのところ、私は毎年のように「今年こそは」と考えてきた。あまり変化のない年であったが、それでも近くの寺院で除夜の鐘を突き、そして市内にある延喜式神社に初詣をする。

大きな事件もなかったが、そうかと言って、よいことばかりではない。いちばん問題なのは、身体が衰えてしまって、体調が次第に悪くなっていくことである。

しかし、寺院で鐘を突いたり、神社に参拝できることは、まだ幸せな段階かもしれない。知人には寝たきりの人やアルツハイマー病になってしまった人がいる。そういう人は、外出も不自由でままならない。まだ動けること自体ありがたいことと考えて、今年も一年が始まる。
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すぐ飽きてしまう性格、直したくあり。


最近になって何かをしていると、すぐ飽きてしまう自分に驚く。かつて、そんなことはなかった。何でも、飽きずに根気よく続けたものだ。同じことを繰り返したり、何回も言うと「くどい」と思う人もいる。しかし、百万陀羅尼などのことを考えると、必ずしもそうでない。そもそも日々の生活自体が、ほとんど同じことの繰り返しなのである。

心臓の鼓動や肺の呼吸なども、ほとんど同じ調子で反復をしている。もしも、止まったりすると、大変なことになる。

同じことを同じようにできることが、生きていくうえに必要である。また、それをできるように努力すること自体が、老化予防のための一つの方法と言える。もしも、人生に飽きてしまったら生きていても、おそらくそこでアウトでしょう。
願わくばピンピンコロリ、オシメはいやだ。


いつの間にか老いて、体力に自信がなくなってきた。そこで、何となく不安になってくる。身体の健康を損なう不安、それは寝たきりになってしまう不安である。そこには、言い知れない恐ろしさが潜んでいる。

また、オシメやオムツのお世話になるのもいやだ。むろん、アルツハイマー病や恍惚の人にはなりたくない。当然のことであろう。

しかし、そんなことは、つい先年まで考えたことがなかった。自分自身のことと思わなかったからである。しかし、とうとう当人が、当事者になってしまった。せめて、できたらピンピンコロリ、つまりコロリ往生がしたいものである。
「年生」は、飼われていると同じ状態?


年生と言っても、何のことだかわからないでしょう。私は、「年金生活者」のことを「年生」と言い、また単語登録にも「ねんせい」としています。したがって、個人的な略語でもあるんです。

ついでながら、「携帯電話」を「携帯」などと言うのは、言語の形態を考えない人が、思いついて言い始めたのでしょう。まだ、「携電」と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

それはともかく、年金生活者になってから、ひしひしと感じることがあります。それは、自分自身があたかも家畜が飼育されているような状態に置かれているのではないかという感覚なのです。つまり、狭い放牧場で飼われている牛などの環境に何となく似ているような立場に、自分が置かれているのではないかという疑念なのです。
才能のある人ばかり、多い世の中。


テレビや新聞を見ていると、ものすごい人が次々と出てくる。話題になるほどの人は、いずれも何らかの意味で才能に満ち溢れている。そして現代社会では、才能は金儲けにつながることが多い。

しかし、必ずしも才能があればよいというもんじゃないとも思う。なぜならば、才能があると社会の中で目立ってしまうからである。そして、その自己の才能のために自分自身を失ってしまう場合が多い。スポーツ選手や演奏家たちは、いったい誰のために激しい練習をしているのか。これでもか、これでもかとチャレンジするのはいいのだが、やがて限界がやってくる。

「かえるの腹自慢」という話があるが、いったい何のために何をしているかがわからなくなってしまう。せいぜい自分の限界を確かめる程度でよいと、私は常に思っている。
よろこびを多くの人と分かち合いたい。


今まで「健康」「老化予防」「安心立命」などについて、自分なりに考えてきた。そして、それなりの結論を得ている。自分なりというのは、私と妻と姉である。そして、その三人ともに何とか元気である。寝込んだこともないし、外出できなくなったこともない。今のところは。

しかし、多くの知人はアウトになってしまった。糖尿病や高血圧、そしてガンが主な原因である。すでに鬼籍の人であったり、入院中の人、そして寝たきりやよいよいの人がいる。むろん、認知症やアルツハイマー病の人も多い。

そこで、小さいことながら日々の注意を教えてあげたい。簡単にできることであるが、ちょっと思いつきにくいことである。例えば、調理には化学調味料と塩と砂糖を使わないとか、食器を洗剤で洗わないなど。
大好きなダリ風の絵は、知的空間。


ダリの絵やマグリッドの絵、さらにエッシャーの絵などは何ともファンタジックである。むろん、「ダリ風の絵」であれば誰のものであってもよい。

そのような絵は、私の知的空間を広げてくれる。だから、大好きなのである。見ているとあれこれと想像をしたり、次々と考えが広がっていくのだ。そして、そんな空間に遊べる自分自身の時間が楽しい。

できたら、私もそのような作品を作りたいと思う。しかし、芸術的センスがないのでムリであろう。そこで仕方がなく、あれこれと頭の中で想像をするにとどまる。それでも、知的空間はどんどん広がっていく。とくに、他人に問うような内容でないので、それで十分だと考えている。
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