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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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プログには、悲喜こもごもがこめられており。


最近は、プログが大はやり。私(rik)も、二つ利用している。この「ニンジャプログ」と「gooプログ」。他にも、いくつかやってみたが難しいのは解約をしてしまった。

このプログにも画像を入れたことがあるが、もっぱらメモ的な文章用。そして、gooプログは私たちの「作品」や「画像」が主体。がんばって作ったのだが、いずれのプログも内容はともかく、デザイン自体が何となく野暮ったい。

そこで、勉強のためにときどき他のプログを拝見。
すると、そこには多くの悲喜こもごもが見られる。数行の記述の中にも、その人の人生が異なった方向に行ってしまうようなことも見られるので驚く。また、人生の分岐点になりかねないような独白も。コメントもときどき書くが、人生観がまったく異なる人には遠慮をしておいたほうが無難であろうか。


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気のせいか? 疲れがたまり取れなくなった。


ここのところ、何となく疲れ気味である。若いときのように、一晩眠ると翌朝はスッキリなどとは望まないが、それでも日中に眠くなってしまうのはどうしたことだろうか。

もしかしたら、体内に化学物質が蓄積してしまったためかもしれない。
なぜならば、若い人にも見かけるからである。電車に乗って見ていると、まだ二十歳前後の人がうつらうつら。そして、隣の人に倒れ掛かっていたり、後ろにのけ反(ぞ)ってガラス窓にゴツン。大きな音で、本人もびっくり。目が覚めてしまう。しかし、すぐにふたたびうつらうつら。

他人のことは、とやかく言うべきではないが、パソコンをしているときに眠くなってしまう。おそらく、あまり意味のない作業ということを自分自身で認識しているからかもしれない。
カタルシスしてすっきりと、なると限らぬ。


カタルシスという言葉がある。ギリシア語(katharsis)で、そのことについてはアリストテレスも述べている。もともと、「浄化」とか「排泄」の意味。

文学作品などの中で展開されている世界へ、読者が感情移入することによって、日々の生活で抑圧されていた気持ちが解放される。そして、快感がもたらされる。悲劇を見たときの効果として、アリストテレスが説いている。

また、無意識の層に抑圧されている心の中の固執を外部に出すことで症状を除く精神病の治療法なども言う。通利療法とも。

うんこをすると、スッキリすることが多い。しかし、必ずしもそうなるとは限らない。と、私は思う。

ニンジンやダイコンなどは健康によい!


昔から私たちが食べていたニンジンやダイコン。それらが、健康によいであろうということは何となくわかる。しかし、最近のように農薬やポストハーベイをしてある野菜はどうであろうか。

例えば、ジャガイモ。ふつう、冷蔵庫に入れないと芽が出てくる。その芽には有害物質が含まれているので、食べてはいけない。

しかし、いつまでたっても芽の出ないものもある。おそらく、発芽防止処理がしてあるのだろう。薬物を用いたり、放射線処理をしてある。
また、牛乳でもホモライズ加工をしてロングなどと言って、机上に放置しても腐らないものがある。しかし、それはもはや本来の自然な牛乳ではなく、防腐剤入りの化学製品である。
痛んだり、腐ったりしない食品は、むしろ不気味だと私は思う。
可能性さぐりてみたり、HPのあり方?


ホームページやプログは、誰もが作れる時代になった。いきおい、非常に多くのホームページやプログがアップロードされている。

しかし、そのほとんどが訪問客は少なく、いわゆる閑古鳥が鳴くあり様。実は、私(rik)が管理者をしているところもそうなんだ。

そこで、「訪問者参加型」のホームページやプログにしていこうと思う。
例えば、プチさん(プティ散策)の駅周辺シリーズである。全国の駅をアップロードしていくのであるが、むろん一人で全国の各駅を回るわけではない。賛同してくださる人々に記事をお願いしたり、リンクをするのである。

「Wikipedia」や「青空文庫」のような厳格さを必要としないから、互いに楽しみながらホームページやプログを育てていくことが可能ではないか?
一つずつ見直してゆく、自分のために。


始めてから四年になろうとしているが、思いついたり必要に追われるままにホームページやプログを作ってきた。そして、気がついてみると内容の薄いみっともないものばかりである。

そんなために、つい見直すのが億劫になったり、またホームページビルダーがのろのろとしているので、編集作業がはかどらずに面倒になってしまった。

しかし、この辺で全体の見直しをしていかなければならない。
あまり大きくしても、まとまりのないものになってしまう。自分自身の覚えやメモのためにしたことは、自分でわかればよいと考えて無責任な表現をしていることがある。
少なくとも、見られても筋の通るようにしておきたいと思う。
サンダルが足によいのは、ほぼ自明の理。


日本の気候には、四季がある。したがって、年間を通じて同じ履物を用いること自体がムリではなかろうか。とくに、梅雨の季節が問題だ。そんなときに靴を履いているのは、足の健康上よろしくないだろう。

ギリシア時代などは、サンダルを履いていたらしい。それが、気候にもかなっていたからだ。日本でも、戦前は下駄(げた)や草履(ぞうり)が主な履物だった。それが、明治の近代化と戦後のGHQ指導のもとに、子どもたちまでが靴になってしまったみたい。

成長期に靴を履くというのは、厳寒な地方ならばいたしかたないが、温暖な気候や湿度の高い梅雨のときなどは、纏足(てんそく)に似て足の健康と成長に問題を生じるのではなかろうか。
少なくとも子どもたちに対しては、考えてほしいところだ。
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