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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「死を知らず」、「死にかかわった存在」など。


死に関して、私には印象深い記述が二つあった。いずれも、なかなか優れた見解であると私は思う。まずは孔子、そしてもう一つはハイデッガー。

『論語』に孔子が季路(きろ)から「死」について問われるくだりがある。すると、素っ気なく「未だ生を知らず、焉んぞ(いずくんぞ)死を知らん」と。しかし、そうであろうか。つまり、生をきわめなければ、死がわからないのだろうか。生と死は、同じ次元で考えるものではないだろうか。

ハイデッガーは、実存主義者の哲学者。彼は考える。野生の動物は自分が生きていることの意味を問わない。しかし、人間だけが生きる目的、生き方、つまり自分の存在の意味を問い続ける。そして、死を積極的に受け止めて、「自分は死にかかわった存在である」と考えた。
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