忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[631]  [629]  [628]  [626]  [197]  [624]  [634]  [625]  [627]  [210]  [632
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

お互いの利権のみにて、動く愚かさ。


まったく、困ったことである。
国の指導者や行政の担当者が、レベルが低く、モラルの欠如していることには、驚き呆れるかぎり。

日本の文部・学校制度に、何か欠如があるのかもしれない。
『父母恩重経』に、

<二歳。懐(ふところ)を離れて、初めて歩く。父にあらざれば、火の身(からだ)を焼くことを知らず。母にあらざれば、刀(はもの)の指を落とすことを知らず。
三歳。乳を離れて、初めて食らう。父にあらざれば、毒の命を落とすことを知らず。母にあらざれば、薬の病(やまい)を救うことを知らず。>

というくだりがある。
基本的なことを必要な時期にマスターしないままに、単に学力だけがあって大きくなっても、まったくダメなのではないか。

単なる欲望に支配されて生きているのは、二歳・三歳児と変わりないのであろう。落ち着いて考えてみれば、「清貧」がいちばん心の安らかな状態であるようだ。
それをなぜ遠ざかる方向に、突き進んで行くのかわからない。





PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
己を省みて
私は長男の甚六で、甘やかされ育てられ、随分弟妹からは嫉まれた、結果、19歳で家族が離散してからは、世間の激しい荒波に耐えられず、放浪の数年を過ごした経験がある。
現代なら、犯罪者になっていたかも?未だ自由の考えもなく、己の現状を認識し、激しい、扱いを受けても、ジット耐えていた。
苦しさが極限になると逃げ出した。
逃げなくなると言うか、逃げ出せない境遇に置かれたのが23歳、以来、耐え抜く事を覚えた。
tama 2007/11/06(Tue)05:33:32 編集
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]