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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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切り詰めたたつき(たずき)見直し、乞食寸前。


私は、「吾唯足知」をだいぶ前から実践している。簡単に言ってしまうと、いわゆる「清貧」の生活である。
ときどき、パルテノン多摩の屋上階にあるつくばい風のそのデザインも見に行く。元来は仏典にあった言葉であるが、ものが豊富な現代社会には何となく忘れられていた。

しかし、政府の高官が役職におぼれて賄賂や接待を受けて、最後には失脚をしたりする。少しずつ奈落の底に落ちていくのと、まったく同じである。
いくら一時的には甘い汁を吸っても、自分の退職金で返済するというようなことになっては、愚かであって元も子もない。

なぜ、そんなことになるかというと、現代の「学校教育の歪み」であろう。
ものがあり余って、どちらかというと使い捨ての時代、そんなときにこそ、「吾唯足知」や「清貧の尊さ」を教えないといけない。物が豊かなよりも、心が豊かなほうがよいからである。
歯止めを失って育った人間は、政府の要職につくと貪欲なまでに「たかり」を覚えてしまうのかもしれない。
私は、乞食寸前になっても一向にかまわない。


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人生には様々な誘惑や、罠が仕掛けられ、落ち込みやすい。   女色、物欲、誰しもが、男でなくとも、耽溺しやすい、世俗を棄てて奥深い山に籠もり、悟りを求めるなんて現代では「何を言ってるんだ」と一笑されてしまう。
昔は心ある人間は隠棲して我欲を捨て去り、人生の真理を求める聖人がいた。
現代だって心がけ、一つで夫々の生活圏の中で出来ぬ事ではない。
人は群れたがり、群れは、群れの利益だけ求め、他の人々を犠牲にする。
現代の官僚や政治家集団が典型的な例証だ。
何処で狂ったのか、?人類は常に同じ誤りを繰り返している。
大戦争を起こしたり、方向違いの「革命」だと称し、大虐殺を起こしたり、歴史を見れば、良くわかる。
tama 2007/11/09(Fri)03:32:48 編集
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