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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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信仰の対象をもつことが人生。


人生において、信仰の対象をもっていないということは、生き甲斐を失うことではないだろうか。信仰と言っても、何も宗教にかぎったことではない。自分自身が信じることならば、それを信仰と言ってよいだろう。

信仰と言って具合が悪ければ、価値観とでも言おう。日々生きているのでも、何か充足がなければマンネリになってしまう。自分だけの価値観であるから、相手がなくてもよい。何か信仰というと、定期的に集まって、説教を聞くような錯覚をする人がいるが、そんな必要はない。

価値観の共通がなければ、自分一人だけの信仰になる。そのような場合は、集まる人がいない。それでもよいのである。人が集まれば、煩わしい問題が生じたり、トラブルが発生したりする。とくに共同して作業をするような必要がなければ、ただ一人でいるのが好ましいのではないか。
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