rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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度々(たびたび)の恥は書きすて、いたたまれなし。
「度(たび)の恥は書きすて」どころじゃない。度々(たびたび)である。そして、いつもそんなことを考える。今こうやって書いていること自体、恥の一部じゃないかと思いつつも、あつかましくも書き捨てる。
パソコンで、このブログの他にもTwitterやfacebookなどをしている。そして、それらに投稿をした記事全体が自分の恥の一部なのである。それでは何で恥さらしのようなことを敢えてするのか。それは、「生きている証明」だからである。恥をかこうが、笑われようが、自分自身が生きているということを自分自身で納得したいからである。
そして、さらに老化予防の効果を期待している。他人の文章を読んで意見を言うことも、ボケ防止の一つ。それが無視されてもよい。老人の一人遊びでもいいじゃないか。しかし、相手から意見が戻ってくると、そこから会話が始まることもある。
「度(たび)の恥は書きすて」どころじゃない。度々(たびたび)である。そして、いつもそんなことを考える。今こうやって書いていること自体、恥の一部じゃないかと思いつつも、あつかましくも書き捨てる。
パソコンで、このブログの他にもTwitterやfacebookなどをしている。そして、それらに投稿をした記事全体が自分の恥の一部なのである。それでは何で恥さらしのようなことを敢えてするのか。それは、「生きている証明」だからである。恥をかこうが、笑われようが、自分自身が生きているということを自分自身で納得したいからである。
そして、さらに老化予防の効果を期待している。他人の文章を読んで意見を言うことも、ボケ防止の一つ。それが無視されてもよい。老人の一人遊びでもいいじゃないか。しかし、相手から意見が戻ってくると、そこから会話が始まることもある。
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