rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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椎茸を干す老和尚、初めて見たり。
五月台駅周辺にある修廣寺(修広寺)で、「椎茸(しいたけ)を干す老和尚」の像を始めて見た。「天童山の典座和尚と若き日の道元禅師」というタイトルが付いていた。これまでに何回も文章で読んだことがあるが、その光景を像にしたものを見て、私は大いに感激をした。
つまり、中国で道元が見た椎茸を干す老いた典座僧である。身をかがめて、椎茸をほしている。おそらく、夏の暑い日差しの下であろう。道元が声をかけたのも、不思議ではない。
その老和尚は、おそらく「今干さなければ、いつになったらできるのじゃ」などと言ったに違いない。その言葉が強く印象に残ったので、道元が書き残している。そんな会話が、二人の像からわかってくる。
五月台駅周辺にある修廣寺(修広寺)で、「椎茸(しいたけ)を干す老和尚」の像を始めて見た。「天童山の典座和尚と若き日の道元禅師」というタイトルが付いていた。これまでに何回も文章で読んだことがあるが、その光景を像にしたものを見て、私は大いに感激をした。
つまり、中国で道元が見た椎茸を干す老いた典座僧である。身をかがめて、椎茸をほしている。おそらく、夏の暑い日差しの下であろう。道元が声をかけたのも、不思議ではない。
その老和尚は、おそらく「今干さなければ、いつになったらできるのじゃ」などと言ったに違いない。その言葉が強く印象に残ったので、道元が書き残している。そんな会話が、二人の像からわかってくる。
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