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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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鎌倉の思い出は、多い。
(1) 扇ガ谷(おうぎがやつ)
 小学校に入る前に、鎌倉市扇ガ谷に住んでいた。鎌倉駅から、北鎌倉方向に坂を上がったところ。その坂のてっぺんには、海蔵寺があった。隣の家は、金子さんと言って、流鏑馬をやっていた。太郎さんと言う子かいて、よく遊んだことを覚えている。迎えには、市川さんと言う学者がいて、二人のお嬢さんがいた。下の子は、白百合学園に通っていて、美しい子だった。
http://www.riksys.com/riko/sakusya_all.html の最初のほうに、関連記事があります。
(2) 大仏切り通し
 現在は、同じ名前で自動車用の大きなトンネルになっている。しかし、私が子供のころは、大人がようやく通れるほどの短いトンネル。佐介のほうから、長谷に出るためには、よく利用した。トンネルが終わって、パッと明るくなるのが、今でも印象的である。
(3) 千代平
 今でも銀座通りにあるが、看板は「ちょっぺい」となっていた。そう言えば、当時もそう言った記憶がある。よく、父におもちゃなどを買ってもらった記憶がある。
(4) 電車バンガロー
 七里ヶ浜に江ノ電の古くなった車体を数台置いて、夏に貸し出した時期があった。私の家族も、それを利用したことがある。
(5) 食用がえる
 逗子寄りの光明寺に、臨海学校として泊まったときの思い出。
http://www.geocities.jp/rikwhi/riko/otogi/j08_syokuyo.html を参考にしてください。
(6) 津村
 東京に勤めるようになってから、津村に空き家があるので、利用して欲しいと家主から言われて、しばらく住んだことがある。大きな古い家であった。龍口寺に近く、散歩などで延寿の鐘を突いたりしに、よく行ったものだ。


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