rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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蘇東坡とソロモンが言う「文字」「知恵」空し。
「卒塔婆」でも、「蘇東波」でもない。正しくは「蘇東坡」であり、蘇軾(そしょく 1036~1101)のこと。中国、北宋の政治家・文学者。「人間文字を知るは、憂患の初め」と書き残している。
ソロモンの口調で、コヘレットは演説する。「夢が多いと、幻滅も多い。言葉が多いと、失う時間が多くなる」「銀の好きな人は銀をどんなに集めても飽きず、富みを好む人は富みで満足をすることがない」。そして、「知識が多くなれば、憤激も多くなる」と悲観的な結論である。
現代文明は追い求めるばかりで、その結果について考えていないような気もする。豊かになればなるで、それに比例しては幸福にならないようだ。私も、言葉や知識が多くなると、煩わしいと思う。大いに反省をする次第。すべて、「空の空」である。
「卒塔婆」でも、「蘇東波」でもない。正しくは「蘇東坡」であり、蘇軾(そしょく 1036~1101)のこと。中国、北宋の政治家・文学者。「人間文字を知るは、憂患の初め」と書き残している。
ソロモンの口調で、コヘレットは演説する。「夢が多いと、幻滅も多い。言葉が多いと、失う時間が多くなる」「銀の好きな人は銀をどんなに集めても飽きず、富みを好む人は富みで満足をすることがない」。そして、「知識が多くなれば、憤激も多くなる」と悲観的な結論である。
現代文明は追い求めるばかりで、その結果について考えていないような気もする。豊かになればなるで、それに比例しては幸福にならないようだ。私も、言葉や知識が多くなると、煩わしいと思う。大いに反省をする次第。すべて、「空の空」である。
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たのしみは、観音を見るために行く散歩。
いつごろからだろうか。仏像を見るのが好きになった。老人になったためかもしれない。むろん、東京国立博物館などにも行く。しかし、実際に都内の寺を散歩して、自分の足で観音のおられる場所を探すのが、大いに楽しみなのである。
観音の場所と言っても、必ずしも寺院でない。道端に大きな観音さまが立っておられたり、公園などに佇んでおられることもある。例えば、平和島の競艇場横にある平和観音、新板橋駅の近くの道におられる「おふくろ観音」、そして飛鳥山公園に佇む聖観音菩薩などである。
行くときには、なるべくシルバーパスを使う工夫をする。ケチっているようで、お恥ずかしい次第だが少しでも費用を少なくしたいのも事実。例をあげると、板橋へ行くのは都営三田線「新板橋駅」、上野へは大江戸線「上野御徒町駅」。ちょっと歩く距離が増えるが、そのほうが楽しくなることも事実。
いつごろからだろうか。仏像を見るのが好きになった。老人になったためかもしれない。むろん、東京国立博物館などにも行く。しかし、実際に都内の寺を散歩して、自分の足で観音のおられる場所を探すのが、大いに楽しみなのである。
観音の場所と言っても、必ずしも寺院でない。道端に大きな観音さまが立っておられたり、公園などに佇んでおられることもある。例えば、平和島の競艇場横にある平和観音、新板橋駅の近くの道におられる「おふくろ観音」、そして飛鳥山公園に佇む聖観音菩薩などである。
行くときには、なるべくシルバーパスを使う工夫をする。ケチっているようで、お恥ずかしい次第だが少しでも費用を少なくしたいのも事実。例をあげると、板橋へ行くのは都営三田線「新板橋駅」、上野へは大江戸線「上野御徒町駅」。ちょっと歩く距離が増えるが、そのほうが楽しくなることも事実。
死の不安、麗姫(りき)の嘆きと同じであるか?
『荘子』(そうじ)に、こんな話がある。麗姫は、艾(がい)の国境を守る役人の娘であった。晋の国に連れ去られるときに、さめざめと涙を流して悲しんだ。しかし、王とともに立派な宮殿で生活し、毎日おいしいご馳走を食べるようになったときに、なぜあのときに悲しんだのであろうかと後悔するようになった。
そのようなことを記した後、荘子(そうし)は次のように書いている。「だから、死者も自分が死ぬ前に、なぜあのように生きることに執着していたのかと、後悔をしないともいえない。」
つまり、経験をしたことがない未来については、嘆き悲しんでも仕方がないということであろう。しかし、私には麗姫の例が、直感的にどうもしっくりしない。釈迦やダライラマ、そして身近には勝五郎のような人もいる。ほとんどの人が再生をしないので、そんな心配は不要なのだろうか。
『荘子』(そうじ)に、こんな話がある。麗姫は、艾(がい)の国境を守る役人の娘であった。晋の国に連れ去られるときに、さめざめと涙を流して悲しんだ。しかし、王とともに立派な宮殿で生活し、毎日おいしいご馳走を食べるようになったときに、なぜあのときに悲しんだのであろうかと後悔するようになった。
そのようなことを記した後、荘子(そうし)は次のように書いている。「だから、死者も自分が死ぬ前に、なぜあのように生きることに執着していたのかと、後悔をしないともいえない。」
つまり、経験をしたことがない未来については、嘆き悲しんでも仕方がないということであろう。しかし、私には麗姫の例が、直感的にどうもしっくりしない。釈迦やダライラマ、そして身近には勝五郎のような人もいる。ほとんどの人が再生をしないので、そんな心配は不要なのだろうか。
簡単なタイプのアトピー、早めに治す。
もしも、あなたが簡単なタイプのアトピーであったら、早めに治してしまうほうがよい。慢性の状態になると、なかなか治りにくくなるからである。長い間の食事や生活習慣によって、アトピーになることが多い。「化学薬品症候群」と私は言っているが、多くの化学薬品が体内に蓄積することによって、皮膚のホメオスタシスのバランスが崩れて、そうなるのではないだろうか。
私は学者でもないし、医者でもない。それでも、自分自身のアトピーを何とか克服した。それも、いわゆる薬を用いることなく、食生活と生活習慣の改善によってである。
自分の工夫でたいがいは治るが、ムリなこともある。それは、母親の胎内にいるときにアトピーの遺伝質を引き継いで生まれた場合。そのようなときは、病院に行って根本的な治療を受けなければならない。
もしも、あなたが簡単なタイプのアトピーであったら、早めに治してしまうほうがよい。慢性の状態になると、なかなか治りにくくなるからである。長い間の食事や生活習慣によって、アトピーになることが多い。「化学薬品症候群」と私は言っているが、多くの化学薬品が体内に蓄積することによって、皮膚のホメオスタシスのバランスが崩れて、そうなるのではないだろうか。
私は学者でもないし、医者でもない。それでも、自分自身のアトピーを何とか克服した。それも、いわゆる薬を用いることなく、食生活と生活習慣の改善によってである。
自分の工夫でたいがいは治るが、ムリなこともある。それは、母親の胎内にいるときにアトピーの遺伝質を引き継いで生まれた場合。そのようなときは、病院に行って根本的な治療を受けなければならない。
治らない病気と、治る病気とがある。
個人差があって一概には言えないが、治る病気と、治らない病気とがある。簡単に治る病気は、糖尿病・高血圧症。長い間の不摂生でなった病気であるから、逆にある程度の期間をかけて治療に当たれば完治するはず。しかし、すでに失明していたり、脚を切断してしまったり、透析をしているような人は、もはや治らないかもしれません。
治らない病気は、前立腺肥大症・歯周病など。それらは、どうしても外科的な治療や抜本的な対策をとらなければ、なおりません。いずれも身体の一部の変化と言えるからです。
現在、私が研究中の病気はガンとヒマン。おそらく、いずれも比較的簡単に治るでしょう。初期ガンは必ずしも悪化するとはいえないので、精神的治療も大切。現在、私はワイル博士からヒントを得て、「なんその法」なども確かめてみようと考えているところです。
個人差があって一概には言えないが、治る病気と、治らない病気とがある。簡単に治る病気は、糖尿病・高血圧症。長い間の不摂生でなった病気であるから、逆にある程度の期間をかけて治療に当たれば完治するはず。しかし、すでに失明していたり、脚を切断してしまったり、透析をしているような人は、もはや治らないかもしれません。
治らない病気は、前立腺肥大症・歯周病など。それらは、どうしても外科的な治療や抜本的な対策をとらなければ、なおりません。いずれも身体の一部の変化と言えるからです。
現在、私が研究中の病気はガンとヒマン。おそらく、いずれも比較的簡単に治るでしょう。初期ガンは必ずしも悪化するとはいえないので、精神的治療も大切。現在、私はワイル博士からヒントを得て、「なんその法」なども確かめてみようと考えているところです。
秘書さんのくださる豆は、とてもおいしい。
私は、大豆・小豆などの豆類が大好き。豆だけ食べていても、おそらく栄養は偏らないであろう。五穀とは、ふつう米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を言う。「聖書」(ダニエル書)にもあるが、菜食のほうが健康によい。最近になって「ローマの健闘士が、肉でなく豆・大麦・野菜などを主食とした」ということが、文献からわかったそうです。パプア・ニューギニア人は、芋・豆・野菜を食べ、動物性食物をほとんど食べない。つまり、「バランスよく何でも食べる」わけでもないのに、民族は絶えていない。
「新約」に、皮衣を着てイナゴを食べていたパプテスマのヨハネの話がある。生臭坊主のような印象を受けるが、そのイナゴは昆虫ではなく「いなご豆」だったということが、最近になってわかったそうだ。すると、やはりヨハネも菜食主義だったのでしょう。 また、皮衣はラクダの毛で織った布。なめし皮を着て虫を食べていたのではありません。
豆が魅力的だったことは、「旧約」にもある。「すると、ヤコブは言った「では、今すぐ誓ってください」 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲った。ヤコブは、エサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく、立ち去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。」
私は、大豆・小豆などの豆類が大好き。豆だけ食べていても、おそらく栄養は偏らないであろう。五穀とは、ふつう米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を言う。「聖書」(ダニエル書)にもあるが、菜食のほうが健康によい。最近になって「ローマの健闘士が、肉でなく豆・大麦・野菜などを主食とした」ということが、文献からわかったそうです。パプア・ニューギニア人は、芋・豆・野菜を食べ、動物性食物をほとんど食べない。つまり、「バランスよく何でも食べる」わけでもないのに、民族は絶えていない。
「新約」に、皮衣を着てイナゴを食べていたパプテスマのヨハネの話がある。生臭坊主のような印象を受けるが、そのイナゴは昆虫ではなく「いなご豆」だったということが、最近になってわかったそうだ。すると、やはりヨハネも菜食主義だったのでしょう。 また、皮衣はラクダの毛で織った布。なめし皮を着て虫を食べていたのではありません。
豆が魅力的だったことは、「旧約」にもある。「すると、ヤコブは言った「では、今すぐ誓ってください」 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲った。ヤコブは、エサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく、立ち去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。」
観音は、すでに身近に数柱(すうはしら)あり。
いったい、どこにあるのだと問われそう。それは、ホームページの中。私が、すでに「プチさん駅周辺シリーズ」で経巡(へめぐ)った数千の寺院で撮影した写真の中である。後で見直して、かなりの仏・観音像があることに気付いた。忘れてしまっていたのである。そこで、それらを改めて見直すことにした。
私は、『孝経』の注釈を書いた楊黼(ようふ)のことを思い出す。楊黼は明代の人で、仏典を好み隠棲をして、仕えなかった。その楊黼が、両親に別れを告げて、菩薩に会いに出かける。その途中、僧に「菩薩に会いに行くよりも、仏に会ったほうがよい」と言われる。
「仏はどこにおられるか?」と聞くと、「家に帰ったときに、毛布をかぶり、靴を逆に履いた人が迎えてくれる。その人が、仏じゃ。」と答える。言われたとおり家に戻ると、もう真夜中だった。母親は大急ぎで出てきた。毛布をひっかけ、靴も逆に履いていた。
いったい、どこにあるのだと問われそう。それは、ホームページの中。私が、すでに「プチさん駅周辺シリーズ」で経巡(へめぐ)った数千の寺院で撮影した写真の中である。後で見直して、かなりの仏・観音像があることに気付いた。忘れてしまっていたのである。そこで、それらを改めて見直すことにした。
私は、『孝経』の注釈を書いた楊黼(ようふ)のことを思い出す。楊黼は明代の人で、仏典を好み隠棲をして、仕えなかった。その楊黼が、両親に別れを告げて、菩薩に会いに出かける。その途中、僧に「菩薩に会いに行くよりも、仏に会ったほうがよい」と言われる。
「仏はどこにおられるか?」と聞くと、「家に帰ったときに、毛布をかぶり、靴を逆に履いた人が迎えてくれる。その人が、仏じゃ。」と答える。言われたとおり家に戻ると、もう真夜中だった。母親は大急ぎで出てきた。毛布をひっかけ、靴も逆に履いていた。