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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ミニかプティ、あるいはペケを考えてみた。


ミニは、ご承知のとおり。
プティは「プチ」と書く場合もあり、フランス語の「petit」。もともと「小さい」という意味があり、複合語として「プチブル」などと使う。また、「Le Petit Prince」はストーリの内容から意訳して「星の王子さま」。
ペケは、スペイン語の「peque」。
いずれも小さいという意味。

近くの京王線沿線各駅からの散歩、つまり「小さい散歩」を「プチさん」とした。つまり、プティ散策である。
最初、「ミニさん」「ペケさん」なども考えたのであるが、どうやらプチさん(プティ散策)が何となくいいんじゃないかという結論。
ペケさんでは、ちょっと語呂が悪かったのも事実。
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新しい発見もあり、楽しい散歩。


ここのところ、散歩に忙しい日々。
原則として、晴れた日には「プチさん」(プティ散策)。そして、雨が降ったり、雨模様のときは部屋で読書をしたり、パソコンをする。

何ゆえか、パソコンのホームページについても、前のように情熱がなくなってしまった。もしかしたら、訪問者があまりにも少ないからだろうか。

しかし、自分自身の「老化予防」の一環として、そこが理想的な場であることは事実。とくに、グーグルの検索オプションでドメインの指定をすると、自分が今まで「どこに何を書いたか?」を直ちに知ることができるようになった。おそらく、従来の自分自身でインデックスを作る方法よりも確実であろう。

散歩をして発見したり、再発見をしたことは、必ずホームページにメモをしておく。後で思い出して「老化予防」ができるので、素晴らしい。
老いたらば、独り静かに日々送りたし。


あれもしたい、これもしたい。あれも欲しい。これも欲しい。
そのようなことは、若いときのこと。
老いてくると、あまり希望や物欲がなくなるみたい。

とくに、身体の不調箇所が増えてくると、自分自身のメンテナンスをすることで精一杯。俗世間の細かいことには、手が回らなくなってしまう。
また、その結果であろうか、物があまり欲しくなくなるようだ。

つまり、せいぜい自由奔放に考えて、健康を維持することが最優先。そんなことが、晩年の日々の務めと生きがいであろう。
むろん、老いてから恋人を作ったり、蓄財に励む人もいる。実際に何人かを知っている。しかし、私の場合はせいぜい文章を作ったり、デジカメで写真を撮ったり、それらを整理する楽しみの程度である。
あなたの場合は、いかが?

「ありがとう」という気持ちで、パソコン止(と)める。


いつも「ありがとう」という気持ちと、「やれやれ」というほっとした気分で、パソコンの電源を切る。

例えば、「FFFTPのファイル転送」である。
ファイルの数が1万近くなると更新チェックのサーチにも時間がかかり、中には読み込みエラーが生じてしまう。そして、そのままハングアップ。
もっとまずいのは、正常転送をしたような結果の動作をして、ページファイルのお尻の部分が切れてしまって、失われたままセーブしてしまうケース。
そんなためにファイル転送をした後は、必ずリバージョンをしたページを読み出して、最後にある年月日の記述を確認しなければならない。

とにかく、思うように動かなくても、また作業がはかどらなくても、パソコンを終えるときは感謝の気持ちで、ほっと安堵するのである。
NPO法人化する予定だったが、……。


健康や老化予防を実行・推進するグループとして市の文化団体として発足したものの、あまり効果のないままに三年が過ぎた。「石の上にも三年」などと言うが、さっぱりである。

「ホームページで広報をしたら?」と言った会長も、すでに亡くなってしまった。また、グーグルにサークルを作ってくれた大岩さん、ヤフーにグループを申し込んでくれた田中さんもすでに鬼籍の人。

そんなわけで私一人が、ほそぼそと運営・維持している。
最初は、メンバーが増えたらNPO法人化して健康や老化予防に関する研究などを強力にしたいと考えた。しかし、ホームページなども今となっては、単に私のメモに過ぎない内容になってしまった。いいかげんなページがあったり、「百舌の速贄」になっちゃった記事がかなりあるのはそのため。
「絵に描いた餅」で、お恥ずかしい次第。
もう一度、行ってみたいと思う場所あり。


老いてくると、かつて行った場所で、何となく改めて行ってみたいと思う場所がある。ノスタルジックとでもいおうか、自分なりに印象に残った思い出があるからかもしれない。
しかし、その思い出と言ってもそれほど大げさなものではなく、ほんの些細なことが多い。

長旅というほどではないが、逗留した場所やホテルや旅館の部屋に対してなつかしさもある。ちょっとしたことでも、記憶の中にはっきりと残っていることがあって、郷愁を感じるのだ。

松尾芭蕉は、死去に先立って<旅に病んで夢は枯野をかけめぐる>と詠んだらしい。もしかしたら、私も身体が不自由になって外出ができなくなったら、「夢がかけめぐる」かもしれない。

面白くない記事を見る人は、少ない。


まったく、その通りである。
プログやホームページなどを見ていると、訪問者の多い記事は面白い。時事問題や社会の風刺、そして独自の見解など、読んでいても興味深い。また、趣味などの記事もなかなか充実していて、有意義なものが多い。

しかし、このプログのように自分が自分自身のために書いているものは、他人が見てもあまり面白くはないだろう。なぜならば、独りよがりで身勝手な内容だから。
ちょうど、売れない芸能人の芸と似ている。客観的に見ると、何となくバカバカしく哀れである。本人はがんばっていても、誰も見ないのだ。しかし、本人がそれでよければよい。と、私(rik)は思う。
つまり、「はためかない旗」や「馬耳東風以前」なのである。
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