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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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何となく、やる気がなくて身体(からだ)がだるい。


ここのところ、何となく体調が悪い。数年前の入院、その後のずいぶん長かった通院。すっかり、身体(からだ)のホメオスタシスが狂ってしまったようだ。

その結果、どうやら気力まで失ってしまったみたい。
「気は心」とか、「健全な身体に、健康な精神が宿ればいいなぁ」などという諺(ことわざ)を思い出したりする。

別に死にかかっているわけでもないが、何かをするときに面倒であったり、億劫である。つまり、やる気がしないんだ。それは、もしかしたら病気ではなく、単に加齢による現象なのかもしれない。

でも、私より歳をとっている人で、矍鑠(かくしゃく)・溌剌(はつらつ)としている人もいる。もっとも、私の歳で死んでしまったり、寝たきりやアルツハイマーの人もいることはいるが、……。
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ロンギヌス、血で眼の病みを癒されたのか?


ロンギヌスは、キリストの処刑のときに槍で刺したローマの兵士。すでに、眼を病んでいたらしい。しかし、キリストの血が眼に入ったので、治ったという。

そのようなことは、伝説であるかもしれない。
しかし、「ベン・ハー」や「聖衣」などのようなストーリもあるので、事実だったか創作かどうかは、一概には言えないだろう。

旧約聖書では、血液を非常に大切にするようだ。もしかしたら、こころが血液にあると考えていたのかもしれない。
現在の科学は、「こころが脳にある」と考える。しかし、かつてはこころが心臓にあると考えた時代があった。そして、実際には心臓を流れる血液が主体なのであろう。脳の場合も、血液がないと記憶できないと私は思う。

こんなもの、やめちゃえばとも思うことあり。


何かをしていて、何となく億劫になることがある。
それは、「こんなことをしていて、意味があるのだろうか?」などという疑問が生じたとき。

あまり意味のないことに、せっせと取り組んでいる自分が愚かしくも哀れになってくる。
例えば、ホームページやプログ。
誰も見てくれないとは言わないまでも、ほとんど訪問者がない。それを次々と書き足していく。何とムダなことであろう。

そんなことを言えば、自分自身の存在や人生はどうか?
あまりにも意味のないことではないか? 自己嫌悪に陥ってしまうほど、存在価値のない自分に愕然とする。
エレウシスの秘儀は、死後の疑似体験か?


ギリシア時代にアテネでは、「エレウシスの秘儀」が行われていたという。それは、エレウシス(地名)に集まって松明(たいまつ)をかざし、死後の復活を祈るのである。そして、各自が「死後の世界」つまり「死」を疑似体験する。

そのようなことが、当時は秘かに行われていたらしい。
ギリシア時代にも、やはり死後のことが心配であったことを物語っている。

私も古希になって、ぼつぼつ死ぬのであるから、死後の心配が生じてきた。でも、そのようなことを言うと誰もが笑う。死んでしまったら、何もなくなるので、そのようなことを考える必要がないらしい。
そうは言っても、用心をしておくのにこしたことはないだろう。
キリがないことを求める脳の空しさ。


現代の社会や科学は、キリのないことを際限なく追求する。同義反復のような言い方ではあるが、それが現実であろう。

つまり、基礎のないままに、次から次へと追い続ける。
それが、経済というものらしい。

ちょうど、醜女(しこめ)のお化粧のようなものである。
醜女は、容貌のみにくい女のことである。また、『古事記』では黄泉(よみ)の国にいる容貌のみにくい女の鬼のことも言っている。

醜いので、お化粧をしても見栄えがしない。さらに、風呂になど入っていないので、不潔極まりない。そんなベースの上にごてごてと盛り付けていくのが、現代の経済や文化なのではないか。
わからない? 過去最高の平均寿命。


すでに2002年9月15日現在で、75歳以上の人が1000万人を突破したと総務省が発表している。そして、その後2005年には平均寿命が男78.56年、女85.52年と過去最高になったと厚労省が公表した。

しかし、長生きを記録しているのは、現代の若者ではなく、明治・大正時代に生れた人たちであろう。おそらく、今後は次第に平均寿命が短くなっていくのではないか。
なぜならば、食べ物の不都合や生活習慣の乱れなどが、あまりなかった時代に比べると、死亡率をどんどん増していく傾向にあるから。

平均寿命などと言って安心をするのは間違いで、何となく統計のからくりのような感じもするが、いかがなものであろうか。
目まいして、フラフラとする症状もあり。


目まいをしたり、フラフラとしたことなどは、今までにあまりなかった。
しかし、最近になって目まいや立ちくらみをするようになった。また、歩いていて身体のバランスを失い、思わずフラフラとしてしまうことがある。
自分の脳がそう感じているのだが、「地震かな?」などと考えてしまう。

つまり、まだ自分を中心として脳が感じているようだ。
自分が、地球という不安定な場に乗っているなどとは思わない。なぜならば、大地はしっかりしているという間違った固定概念があるからである。
そして、それは脳がもたらしている幻影などということに、愚かなほどに気付いていないから。

人間の脳は、奇妙な存在。不思議でもあり、不気味でもある。
目まいをして、フラフラとするようになってから、そのことにも気付いた。
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