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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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豺狼のごとくに群れる閉店のとき。


「閉店」には、「その日の営業を終えて店をしめる」ことと「本来の仕事をやめてしまう」ことの意味がある。ここでは後者、つまり店じまいのことである。

いつも思うのであるが、そんなときには人がいっぱい。今までの閑古鳥が不思議なみたい。食べ物や衣類などの店のほかにも、ローカル線などの運転でも同じ現象。まったく、豺狼のようである。

「豺狼」(さいろう)とは、野犬や狼の類。ダメになりかかったところへ群がる人々の性格は、蛆(うじ)やウイルスの習性と似ていて不気味でもある。

「豺狼、路に当たれり、いずくんぞ狐狸を問わん」とは、「野犬や狼が前にいるときに、狐や狸などを問題にしていれるか?」という意味。大悪人が権勢を誇っているときに、その下の小童(こわっぱ)を除いても仕方がない。
つまり、欲求にしたがって行動することよりも、その貧困な思想という生来の原因を除かなければならない。
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楽しみは、まれに友来て語り合うとき。


何となく橘曙覧風である。しかし、私にとって、事実は事実。正直な気持ち。
かなり以前に、

「たのしみは、まれに友来て語りあうとき。」

というのがあったと思う。

そこでは、私の心に「ふっと生じたり、何気なくやってくる」友の思い出などを語った記憶がある。親しかった友だちの多くが、すでに亡くなってしまった。花が咲いたりしても、その友を思い出すことがあって、蝋梅(ろうばい)の季節になると、大岩さんが偲(しの)ばれる。」と言った内容。

新句(十九音)では、まったく同じ作品が何回あってもよい。
久々に、府中病院尋ねる羽目に。


ぐるっと回って、元に戻るようなケースがある。
健康について自信がなくなったので、総合診断をして欲しいと思った。人間ドックのような精密検査とその結果の処置・加療である。以前、会社の厚生保険加入社だったときにした「一日人間ドック」のように費用がかかってもよい。

そこで、所轄の府中社会保険事務所に行った。すると、すでに非加入者だから、保健所へ行ってみろと言う。そこで、調布経由で永山にある保健所を尋ねた。しかし、そこでも検査はしていないと言う。そして、市へ行けと言う。

仕方ないので、そこから歩いて市役所に行った。すると、健康関係は「健康センター」でやっているという。何のことはない、関戸の九頭竜会館である。私の住んでいるところから、歩いて五分足らず。
次の日に行って係官と話した結果、結局は市で対応ができなくダメだから、前に入院をした府中病院に行くのがベストだとわかった次第。
あるいは、行かないのがベストかもしれないが、……
新しい発見があり、楽しいプチさん。


「プチさん」とは、「プティ散策」の略。つまり、「小さい散歩」のこと。
とくに、改まった目的もない。また、どこまで行くかとか、どことどことに行くなどとは、最初から決めない。むろん、疲れたら途中でやめる。

そのときどきの気分や天候の変化によっても、スケジュールが変わる。
そんなのんきな散歩である。

それでも、いつも通らない一本裏の道などを行くと、いろいろな発見がある。つまらないようなことでも、自分自身にとって新たな感動や驚きがあることもあろう。
また、今までに気付かなかったことがあったり、再発見があったりする。例えばマンホールの蓋なども、よく見ると面白い。何とも、プチさん(プティ散策)は気軽で、楽しいもんだ。
ぜひ、あなたもやってごらんなさい。

居ながらにして、楽しめるプチさんの記事。


雨の日は、どこにも行けない。せいぜい行って、隣のデパート。京王デパートやアートマンなどは、傘なしで行ける。

しかし、たいがいは部屋でテレビを見たり、パソコン。
前に作ったプチさん(プティ散策)のページなどを見る。思い出などもあって、なかなか楽しい。そして、必要に応じて書き直したり、書き足す。

作家の誰かが志賀直哉を訪ねたら、引き出しから小品を取り出して加筆・訂正を楽しそうにしていたという。私は、そんな記事をかつて読んだことがある。つまり、「小説の神様」などと言われた人でも、何回も書き直すらしい。
したがって、才のない私が書き直すのは、当然のことであろう。
見れば見るほどに、楽しいグーグルの地図。


雨の日などは、散歩に行けない。
そこで、パソコンを始める。グーグルの地図を見るのである。

大きな地図で見る
場所がないので小さくしたが、実際には「大きな地図で見る」をクリックして、倍率を変えたり、航空写真にしたりする。一ヶ月前から、大きな地図にするとストリートビューも見れるようになった。そんなことをやっていると、面白くてなかなか飽きずに楽しいときを過ごせる。
雨の日は部屋で編集、楽しくもあり。


雨が降っていると、プチさん(プティ散策)に行けない。
そこで、部屋にこもってデジカメ写真の編集などをする。さらに、中途半端になっているホームページの箇所などを追加・編集する。

そんなことをしていると、何となく楽しい。
実際には、くだらない無意味なことかもしれないが、自分自身の生きているという「実感」がもてる。つまり、そのことが「生きている証明」なのである。

ノスタルジック(nostalgic)という言葉は、「郷愁を感じる」ことや「郷愁を感じさせる」ことなどを言うが、思い出すこと自体が自分自身の心のノスタルジーなのかもしれない。
なぜか「こんなことが、かつてあったなぁ」などとデジャビュを感じることも多いからだ。
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